ヨゼフ・ボイス museum schloss moyland所蔵
世界で最も長い歴史を誇る国際美術展、ベネチア・ビエンナーレが揺れている。詳細はここでは割愛するが、その背景には、世界各地で続く紛争が大きく影響している。アートが戦争とどう向き合うのか、そして政治がアートにどのような影響を及ぼすのか、注視したい。
—————
私はアートに対して、身近にあって人生の指針にするものと考えている。とはいうものの、しょっちゅう「人生」を持ち出すほどたいそうに考えてばかりではなく、作品を見て単純に「かっこいい」とか「かわいい」なんて思ってほくほくすることが大半である。
かなり前になるが、美術活動をされている方と話をしたときのことだ。その人は一目で「おしゃれが好きなのだな」と思わせる格好をしていた。指にはハイブランドの、棘のあるバラの茎を輪にしたデザインの指輪をしていて、とても素敵な指輪だったので聞いたところ、「この指輪は自分にとって高価だったけれど、自分は美術という荊(いばら)道を行くという覚悟を常日頃自覚するために買った」とのこと。穿った見方をすれば、欲しいけれど手が出にくいものに対して自分なりの理由づけをし、自らを納得させたともいえるのだが、私はこの「人生の指針を身近に置く」という考え方がなかなか気に入った。
—————
さて、私の好きなアーティストのひとりにヨーゼフ・ボイスがいる。彼の作品に触れるたび、素材の解釈―すなわち、伝えたい内容とそれを表現する素材との一貫性、そしてそこにほとんど矛盾がないことに、自然と「いいなぁ」という言葉がこぼれる。作品に宿る知的センスと品格は、まさに「側に置いて人生の指針にしたい」と思わせるものだ。
ヨーゼフ・ボイスは、彫刻やドローイング、パフォーマンスといった芸術活動を通して、脂肪や蜜蝋、フェルトなどの特定の物質に論理的考察を加え、芸術の解釈を拡張することを試みた。彼は生命や社会を固定的なものではなく、流動し変容するものとして捉え*、「社会彫刻」という概念を提唱した。「社会彫刻」とは、人間社会の理想を目指す自由で創造的な営みを指す。そして彼が「ひとは皆アーティストである」と語ったのは、人間を本質的に創造的な存在と捉え、たとえ職業的な芸術家でなくとも、それぞれがそれぞれのかたちで創造性を発揮できると考えたからである。
ボイスは、つねにヨーロッパの祖先的な精神文化を強く意識していた。彼の生まれ故郷であるクレーヴェには、かつてケルト人が定住していた痕跡が残されており、その歴史的背景も少なからず影響していたのだろう。彼の「アクション」と呼ばれるパフォーマンスは、あらかじめ設置されたオブジェクト群を、シャーマニズム的な儀礼のなかで再構成していく形式をとる。
また、第二次世界大戦中のクリミアでの飛行機事故でタタール人によって助けられた経験も、彼の思想形成に大きな影響を与えた。「精神的外傷」「治癒」「実体」「変容」といった用語には、そうした経験を背景としたシャーマニズムへの傾斜を示唆するものである。
シャーマンの本質は治癒にあり、実体の質的変化に作用すると同時に肉体を通じて霊的なものを仲介する役割を果たす。こうした性質は、ボイスの芸術活動全般に通底している。そこには、大戦後の、破壊された国家、社会、街を癒し、中和するという思いがあったに違いない。

ヨゼフ・ボイス「Scottish Symphony, Celtic Kinloch Rannoch」1980 シルクスクリーン・写真 ed:200 139.6x31.5cm
—————
私は、自分がこれまで考えていた以上に、ボイスにとって戦争は大きなインパクトを与えた出来事だったのではないかと思う。彼は作品の中で戦争を正面から扱うことはほとんどなかった。しかしそれは、実際に戦争を体験したボイスだからこそ、あえてそうしなかったのではないだろうか。とはいえ、その痕跡は作品のそこここに、まるで暗号のように潜んでいる。
自然現象を通して神の存在を感じ取るように、ボイスの謎かけのような作品も、こちらが目を開き、その意味を読み取ろうとしなければ何も語りかけてはこない。声高に何かを主張するわけではない。だからこそ、その作品は人生の指針のように、静かに寄り添ってくるのである。
*ボイスがよく使用する素材である脂肪、蜜蝋、フェルトについては、以下のとおりである。
脂肪は温度によって形を変える性質を持ち、冷えるとかたまり、熱を加えると溶ける。蜜蝋は血液、筋肉、骨の中間的な存在と考えられ、保温性と可塑性を兼ね備えている。フェルトは織られるものではなく、人工と自然の要素が組み合わさって作られる素材である。叩くことや圧縮することで形を変えるウールは、脂肪や蜜蝋と同様に、彼の彫刻論において重要な要素を多く含んでいる。実際、彼のほとんどの作品は、化学反応、醗酵、色の変化、腐敗、乾燥といった過程の中にある。
参考書籍
『JOSEPH BEUYS』(展覧会カタログ)フジテレビギャラリー、1993年
『若江漢字とヨーゼフ・ボイス』(展覧会カタログ)神奈川県立近代美術館 葉山、2025−2026
text : Song Wei
本コラムは、2024年2月28日付のニュースレターにて配信したMAIL MAGAZINE68に加筆、編集を加えたものになります。
最新のニュースレターをご覧いただくには、下記よりご登録をお願いいたします。
新入荷作品のご案内や企画展の情報もお届けしています。