オランダ デルフトの風景 資料写真
ギャラリー業務の一つに設営があります。
主に、展覧会開催のための空間づくりを行う準備作業のことをいいます。
作品の開梱から照明の調整、キャプション作成等を、展示プランに沿って行います。
その都度、パテやペンキを使い、壁をまっさらな状態に戻します。そうして、展示を終えると、同じ間取りでも空間の印象が違うことに、毎度新鮮な驚きを覚えます。
ギャラリー業務の中でも、好きな作業の一つです。
一枚の絵が、まわりの空間に及ぼす効果、その影響力の強さを、痛感させられた一文があります。
フェルメールの「デルフト眺望」(1659-60)について、同時代の画家・レンブラントとの、光の表現方法を比較した、ジル・アイヨーによる評文です。
レンブラントが描く事物や物体は、「他所の光」が介入し、「その存在のしかたは演劇的である」と前置きした上で、フェルメールの光は次のようであると述べています。
[・・・フェルメールの光はけっして、私たちを別の宇宙に運ぶような他所の光ではない。
それは、この世界が、えもいわず単一であることを感じとらせる。 ときとして《デルフト眺望》は私の目に、あたかも実在していないかのように美しく映る。
つまり、この絵のかわりに本物の窓が、美術館の壁にひらかれているかのように。
レンブラントのものまでふくめて、同じ展示室にかかっている絵を、すべて無様(ぶざま)なものに見せてしまうような、本物の窓。]
『フェルメール画集』(1991、リブロポート)「批評の財産」から「見られることなく見る」 ジル・アイヨー 巌谷國士訳 より抜粋
「デルフト眺望」が掛かった途端、何の変哲もない「壁」が、「本物の窓」になって空間に作用し、奥行きを生んだことが、この一文から伝わってきます。
設営時、作品サイズの大小に関わらず、空間の圧迫、または広がりを感じることがあります。
作品が発する気配のためですね。ときには、配置換えをし、調整をする必要が出てきます。
SHIN ISHIKAWA《Beginning》 2024 インクジェットプリント open edition 29.7×21.0cm
さて、もっと身近な生活空間の壁に、意識をむけるときはあるでしょうか。
海外ドラマなんかを見ていると、登場人物のお宅に絵画が飾られていることが多い、と感じます。
所せましと飾られていようが、住人の好みを捉えていて、違和感がありません。
ところが、日本のドラマでは、あったとしてもどこか不自然で、借りもののようにみえます。家具や小物はリサーチが充分なのに、絵画となると、どうもしっくりこない。
個人が、絵を買って飾る、という習慣が根付いていない現れかもしれません。
磯上尚江《宇宙の家》 2024 木版画,和紙,水彩絵具 ED.2 60×91cm
借りものの絵は、私に、モデルルームの見学会を連想させます。
そこで「我々の住居を悪趣味につくろう。」と説いた、建築家の言葉が浮かんできます。
誰かが提示したスタイルそのままに住む、そんな姿勢に意を唱えた、建築家アドルフ・ロース*の言葉です。
少し長いですが、以下を引用します。
[我々の住居を悪趣味につくろう。そして趣味がよかったらとしたら、それはそれでなお結構なことだ。住居・部屋から暴力を振るわれるのは、もうごめんこうむりたい。
(中略)そして気に入ったものはなんでも買おう。その間の釣り合いなど気にしないで、なんでもどんどん買おう。自分に気に入ったものを買う、自身に気に入るように行動する!
そう、そうすること自体がもう既に、我々の様式を表現しているといえるのだ。
(中略)たとえ悪趣味だとしても一人の人間の、そして家族の趣味がつくりだしたひとつの様式である。]
『装飾と犯罪』アドルフ・ロース 伊藤哲夫訳 筑摩書房
ロースは、日用に使用するものすべて ー家具や衣服、シガレットケースからケーキのデコレーションまでー が単純であることを好んだ人物です。
「装飾は罪悪である」と断じるなど、ときに過激な言動が目立ちますが、上記の引用文からも分かるように、住む人の主体性を何より尊重しています。
ロースの言う「装飾」と、芸術を混同してはいけません。「装飾」とは、装飾に装飾を重ねること、既に美が備わっているものに「不必要な装飾」をほどこすこと、を指しているからです。
住む人の快適性と居心地の良さを念頭に「内部」を豊かにすることに、眼差しを注いだ建築家が、「装飾」という「外部」にある不必要なものを除こうとしたのは、得心がいきます。
この、不必要かどうかを見極める目を持つのが、難しいところだと思いますが、ロースは「近代人」(ロースの時代は19世紀)であれば区別できるだろう、と言います。今の「現代人」に向かってなら何と言うでしょうか。
ロースの言葉を都合よく解釈するのならば、悪趣味と他者に思われようが、自分にとって心地好いものを家に招き入れたい。住人とともに、家も、変化・成長し、住人の歴史・様式が、家に備わっていくのなら、その過程は、常に流動的で未完成であるはずです。
住人が作り上げる様式美によって、内部空間が、広がりもし、圧迫されることもあるのを、経験として感じ取っていく中で、不必要なものを手放す〝目〟を、ゆっくり培っていくのでしょう。
text:tomiko mabuchi
おくまゆみ《House》 2017 ドライポイント、アクアチント、エッチング、メゾチント 1/5 17.5×11.5cm
*アドルフ・ロース (Adolf Loos、1870-1933)チェコのブルノという小都市で生まれ、ウィーンやパリで活躍した近代建築の先駆者。ロースの資料は乏しく、謎に包まれているともされる。 代表作:「カフェ・ムゼウム」(ウィーン、1899)「アメリカンバー」(ウィーン、1908)「シュタイナー邸」(ウィーン、1910)「ロースハウス」(ウィーン、1911)「ミュラー邸」(プラハ、1930)ほか
関連ページ
SHIN ISHIKAWA「Beginning」
磯上尚江「宇宙の家」
おくまゆみ「House」
本コラムは、2026年3月20日付のニュースレターにて配信いたしました。
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