Instagramに流れてくる、中国の田舎で漆器や傘、墨などを全て手作業で作る動画を見るのが好きだ。例えば漆器は、漆の木に傷をつけ、漆を採取するとことから始まる。完成までを短くまとめてあるが、実際に一連の作業をするとなるととてつもない時間がかかるはずだ。もちろん、これらの動画は、本当に田舎に住んでいる人の実際の生活を撮影したものではなく、作られ、編集されたものだということはわかっている。しかし、昔の人はものづくりにそのような手間と時間をかけていたであろうことは、この映像から容易く想像できる。「昔の人はこれをやっていて面倒臭くなかったのかな」と思うと同時に「今の時代はものが手軽に手に入るから面倒に思われるのであって、実際この手順しかなかった時代は全ての工程を必然として捉えていて、決して面倒などとは考えなかったのではないか」とも思った。
7月3日から26日の期間、藤元明個展「Frozen Echoes」を開催した。「Frozen Echoes」は、翻訳すると「凍りついた残響」であり、作品のタイトルにもなっている。では、「凍りついた残響」とは何だろうか。
《Frozen Echoes》 2025 silicon color on Polylactic Acid 23.0×35.0×73.5cm
藤元は大きな社会現象である、インターネット上の情報の氾濫とそれを携帯端末で手軽に消費する(させられている)私たちの現状を「Frozen Echoes」として捉えている。私たちは、携帯端末を親指で操作しながら、次から次へと表示される情報を何時間も見続け、時間を「溶かして」いる。ふと我に返ると、何のためにそれらの情報を見ていたのかもわからず、あるいはそれらが何か有意義なものであったのかといえば、そうとも思えない。そして自分の意志を超えて流されるようにただ時間を浪費していたことに気づくのだ。
《Replacement#59 -9:16-》 2025 silicon color and collage on canvas 194.0×109.0×6.0cm
《Replacement#59 -9:16-》は、まさにそのような状況を表している。絵の具が飛び散り、層になった画面はカオスを極める。実はこの平面作品は、キャンバスに絵の具を落としたり流し込んだりして制作したのではない。シートの上に特殊な絵の具でパーツを作り、剥がしてキャンバスに丁寧に貼っていくという作業によって作られている。それぞれのパーツは織るように他のパーツの上をいったり、下をくぐったりしている。(通常のドリッピングであれば落とした順に絵の具が堆積し、先に落としたものが後に落としたものの上にくることはない。)画面上では時間軸が曖昧になり、何が描かれているのかさえわからず、ただアクションの痕跡が錯綜している。アクションの痕跡=残響であり、その具体性のある形を成していない残響が凍りついたように滞留している状態が「凍りついた残響」なのである。なお、タイトルの9:16はスマートフォンの画面比率である。 私には作家が、私たちが携帯端末をとおして日頃体験しているのは、こういうことではないのですか、と問いかけているように思われる。ただし、藤本は決してそういった私たちの日常に対して皮肉をいいたいわけではないし、批判しているわけでもない。ただ自身とその周辺の状況を捉え、アートに置き換えることを試みているだけだ。
冒頭の、手作業によるものづくりをする人間の意識においては、親指一つで次々と情報を切り替えていく現代人の意識よりも、時間の経過のなかにある自身の存在に対してより充足感を抱きやすいであろうことは想像に難くない。それでもやはり人間は、かつての時代に戻ることはないだろう。時間を溶かしながら昔ながらのものづくり動画を見て感動していることの矛盾に気づいたとしても、だ。
AIの登場によりますます人間はコンピューターに頼らざるを得ない状況になっている。静かに、しかし着実にAIなしでは人間の生活は成り立たなくなる。映画マトリックス*では、コンピューターの反乱によって、人間の大部分がコンピュータの動力源として培養されており、動力源とされている人間は脳内の世界を生きている。脳内の世界では憂いのない生活が約束され、酷い現実を知ることはない。 今はまだ携帯端末から離れたとき、無益な時間を過ごしたと我に返っているが、気づかないうちに現実の世界の方を切り離し、意識の中で幸福な時間を過ごすことを選ぶ、そんな未来に足を踏み入れているのではないかと藤元の作品を前にしながら思う。
私は時々水出しの緑茶を作って飲む。お湯ではなく水からゆっくりと抽出した緑茶は程よい苦味と甘味があり、美味しい。うすはりグラス**にロックアイスを入れ、水出しの緑茶を注ぐと、グラスの存在感を感じさせない軽やかな口当たり、透明なロックアイスがグラスに当たる音、お茶の緑と旨みで五感が心地よく刺激され、連日の猛暑の中で救われた気持ちになる。ペットボトルのお茶を飲むのとはまた違う充実感だ。 いつの日かさらなる進化をとげたAIと五感でお茶を楽しむ日が来るのだろうか。それともそんな喜びさえ、人工知能が見せる夢の中のことになるのだろうか。
*ウォシャウスキー, ラナ & ウォシャウスキー, リリー(監督).『マトリックス』. ワーナー・ブラザース, 1999年. 映画.
**うすはりグラス 松徳硝子株式会社が製造・販売する極薄の手作りガラス製品で、同社の登録商標。
text:Song Wei