井上実 展
井上実 Inoue Minoru
水 - 土 12:00 - 18:00 6月19日(土)まで開催。
井上実(いのうえ・みのる)は1970年生まれ。美術大学の絵画科に入学し、のちに中退。以来、絵画を独自の手法で追求し続けています。 井上がモチーフとしているのは、主として道端に生えている雑草の類、昆虫といった普段の生活の中で気にも留めないようなもの。だからといって井上は、「小さきものへの関心」を描きたいわけでも「見向きもされないものを芸術作品に昇華」したいわけでもありません。おそらく、覗き込むという視線の向かい方こそが重要で、草や花や虫などはたまたまその場に居あわせただけの存在のように見えます。(ただし、井上は虫を観察することを好むし、モチーフにしたくなる雑草の重なりとそうでないものがあるらしい。) 絵画という二次元空間に現実世界を写し取るとき、目前にある空間を表現することには困難を伴います。目に映るものに対する絶え間ない取捨選択と抽象化が求められるからです。 人間の、起きた状態での自然な目線というのは水平に向かうものですが、この水平方向の視線で世界を捉えようとすると、その奥行きはどこまでも続き−−今、私の眼の前に見えるのは、机の端−−床や壁、椅子やテーブル−−窓枠−−道路−−フェンス−−木の葉の重なり−−木の幹−木の葉の向こうにちらちらと見える空−−、これらを平面という二次元に移し替えていく作業は、ほとんど不可能に思えます。しかしながら、上から床を覗き込むと視線は地面でぴたりと留まり、自ずと平面空間が立ち上がってくるのです。 20世紀以降の絵画の実験の場はこの三次元から二次元への落とし込みの中にあったのではないでしょうか。平面の中に三次元空間をイリュージョン的に再現するのではなく、三次元空間を平面的に捉え描くことは、「自己言及的な絵画」の追求へと駆り立て、この100年は豊かな絵画空間を生み出した実り多い絵画の世紀だったといえます。しかしながらこの美術家たちによる絵画におけるさまざまな試みは、同時に「目新しさ」が評価されることを許してしまった。そして遂には、「絵を描くこと自体もう古い」と自己崩壊の様相を呈してきます。 「モダン」から「ポストモダン」へ、「自己言及的な絵画」は平面上の問題から、意味と文脈、コンセプトを核心とするようになっていきます。 90年代に井上は、時代を意識し、思潮を取り込みながら制作を試みますが、すべて上手くいかなかったといいます。試みては突き返されることを繰り返し、2000年代に入るとついにはそのやり方を手放して、自分の意志や意図をできる限り排除するやり方へとシフトします。 道端で写真を撮り、それに従って絵の具をキャンバスに乗せていく。仕上がってから手直しをすることはありません。やり直しがないので、少しずつためらいがちに描いていき、小さなキャンバス作品でも仕上がりまでに時に数ヶ月かかることもあります。 自らをコントロールし表現するのではなく、あくまでも媒介者のような態度で対象を描いていく−−どこか後ろ向きで、制作という行為と矛盾するように思えますが、そのやり方は、人間中心主義から新たな唯物論へと向かう今現在の哲学の潮流と呼応しているともいえます。作為という不純物を取り除いた井上の絵画はまるで、純度の高いクリスタルのように永遠の安らぎと緊張感を併せ持つソリッドな美しさを放つのです。