門坂 流「カール(猫)」2008 エングレービング
巷には猫が溢れています。
通勤途中に出くわす馴染みの猫。サイバーローフィング中、目に飛び込んでくる猫動画。
猫グッズ、猫スイーツ、etc.. もちろん猫がモチーフのアート作品も多数あります。
岡本太郎記念館で開催していたヤノベケンジ「太郎と猫と太陽と」(11/10会期終了)は、宇宙船(に見立てた〈太陽の塔〉)に乗った宇宙猫が地球に降り立ち、生命を着床させるという話で構成されています。「経験のない視覚体験」を鑑賞者に与える旨の展覧会紹介文は、壮大なストーリー展開と巨大オブジェにおける展示のスケール感に焦点が当てられたものであると思いますが、モチーフの猫に目を向けると、むしろ逆の印象で、ヤノベケンジというアーティストを知らずとも「既視感のある視覚体験」を味わうことができて親しみが持てる内容の展覧会だと思います。
「親しみを持つこと」は、美術鑑賞を楽しむための土台作りとなります。
美術鑑賞において親しみや慣れを培うことの重要性については、哲学者の多木浩二が度々とりあげています。
多木は、芸術を真に体験するには「くつろいだ状態」にならなければならない。そのためには展覧会を一度きり見ただけでは不十分であり、繰り返し見ることで、何となく感じてくるもの、いつしか本当に分かってくるものだと、著書『映像の歴史哲学』の中で言及しています。
多木のこうした考えは、ヴァルター・ベンヤミンの思想を読み解く過程で明確になっていったものです。ベンヤミンは建築を受容するには①鑑賞②使用 の二重の仕方があり、①は視覚的であり②は触覚的であると述べています。
多木は②の触覚的受容に焦点をあて、そのためには時間や経験を積み、くつろいだ感覚の中で建築や写真、芸術を味わうことが大事だと説いているのです。
猫と美術鑑賞を結びつけるのは、いささか強引ですが、個体としての猫ではなく、親しみくつろぐことの象徴として猫を捉えてみます。 人間と近しい存在の猫は、好むと好まざるに関わらず共存関係にあり、いつの間にか警戒の閾値を下げさせます。無意識のうちに「くつろぎ」の時間を共有します。猫というのは警戒を解くのにかかる時間の工程をショートカットした興味深い存在だと感じます。猫方程式というものを立てることができたならば、人々が警戒を解いてリラックスできる世界が実現する「解」が導き出されるのではないかと考えずにおれません。
美術を見に「行く」のではなく、猫の存在のようにいつでも生活の中に「ある」ものだと感じられれば、美術は受容され、文化的に根付くことが可能なのではないでしょうか。
大川 菜々子「よりみち (3)」2022 和紙・ ⽔性⽊版
さて、親しみを持つための時間や距離感を測る例えとして猫話をしてきましたが、アーティストが猫を主題とした時、個々の特別な関係がうかがえるものがあります。個人的体験に基づき制作された(であろう)猫がモチーフの作品を最後に紹介します。
バルテュス(Balthus) 作による『ミツ』(“MITSOU” 1919)
フランスの画家バルテュスが少年時代に描いた四十枚のインクの素描です。ハガキ大の紙に正方形に近い画面構図。木版画を思わせる素朴なタッチで、少年と子猫との出会いから別れまでが描かれています。前半は少年と子猫が過ごすさりげない日常の一場面が続きます。 少年が差し伸べる手の仕草、頭の傾け方、視線の向きから、表情が窺えなくとも、労りや愛情が子猫に注がれているのが分かります。 後半、母親と思しき女性の手を取り何かを訴えている少年が描かれた後、ベッドの下を覗き込んだり、月明かりの下、蝋燭を持って街に出たりと、忽然といなくなった子猫を探す様子が描かれます。物語の最後に少年が部屋で一人立ち尽くし両手を目の下に当てる場面では、泣きじゃくる少年の声が聞こえてくるようです。彼を慰める術を持たない無力感と同情が沸き、猫について似たような喪失感を抱いたことを思い出します。
一節によると、この絵を描き始めたのはバルテュス8才の時、それから3年後の11才で描き上げたといいます。数年の時を経て描き上げたところからも構成の成熟さが見てとれるのかも知れません。この作品に感銘を受けたオーストリアの詩人リルケによって『ミツ』は『ミツ バルテュスによる四十枚の絵』と題され刊行(1921)されます。バルテュスの才能に気づかせるに十分な作品であったと言えます。 また、バルテュスは生前自分の絵を批評されることを嫌いました。その多くが見当違い、推測のし過ぎだというのです。絵を読むのではなく見るのだ。絵をただ愛することだ。と教えてくれるバルテュスの原点となる作品と位置付けられるのではないでしょうか。
text: tomiko mabuchi
若林真耶「Cat・びっくり」2015 キャットグラス、キャスト original
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本コラムは、2024年11月22日付のニュースレターにて配信いたしました。
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