アルフレッド・スティーグリッツ《Miss S.R.》 1904 printed in 1905
携帯電話の普及により写真が身近になった昨今、写真を「芸術作品」として捉えることは、わかっていてもなかなか難しい。美術館などに恭しく飾られていればなるほどそれらしく思えるが、写真を購入するとなると「お金を出してまで」とためらわれるというのが正直な話であろう。
特に日本では、携帯電話の普及以前から誰もが気軽に写真を撮っていたから、「日本では写真作品が売れない」という話をよく聞いた。余談になるが、私は母が写真好きだったこともあって、生まれた時から成人するまでの写真アルバムが数冊に及ぶし、卒業アルバムを足せばもっとある。同年代のフランス人の友人の家に行ったときに、A4サイズくらいの何かの空箱にばらっと10数枚くらい写真が入っていて、それが生まれてから今までの写真全てだと聞いた時には心底驚いたものだ。なお、フランスは写真を芸術として積極的に支持している国のひとつだ。
「芸術」というと、何か特別な才能を持った人間、普通とは違う能力、並々ならぬ努力の末に到達する境地といったように、誰もが手軽にアクセスできるものではないと一般に考えられている。カメラのファインダーを覗いてシャッターを押せば完了するものに才能や努力は必要ないし、そういう意味では、写真はだれもが撮れるもの、と考えられても不思議ではない。
さて実は、こういった考え方は最近のものではない。写真が普及し始めた170年前も同じように考えられていた。写真は中産階級にも手の届く「絵画」であった。写真家がネガに手を加えることで、アラが消え、写真は絵画のようなやわらかいタッチになる。その手法は、写真を芸術にするために絵画に近づけようとするものとも言い換えられるだろう。しかし、それではどこまで行っても「絵画の廉価版」でしかない。そんな中、写真を自立した芸術として考え、写真の特性を全面的に肯定した写真家がいた。名前はアルフレッド・スティーグリッツ。「近代写真の父」と呼ばれる彼は、それまで記録メディアだった写真を芸術表現にまで高めた芸術写真のパイオニアである。
スティーグリッツ(1864-1946)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州生まれ。ドイツで写真科学を学ぶなど、10年におよぶヨーロッパ留学から帰国したのち、ニューヨークに居を構える。しかし、アメリカの保守的で社交界化した写真界に物足りないものを感じ、孤立していった。そんなある日、雪の日の鉄道馬車の終着駅で馬に水を飲ませている馭者に出くわし、自身の心象と重なったのであろうか、その光景を小型のハンドカメラに収めた。そのような出来事からスティーグリッツは「ストレート・フォトグラフィー」を志向するようになる。写真は絵画と違い、精神性を保持しながらも作家の主観によって歪むことなく目の前のものを客観的に捉えることができる。その点で、写真が自立した芸術となり得ると考えたからだ。”ストレート・フォトグラフィーという写したものをそのまま提示する写真が芸術として価値を持つには、被写体に思想や哲学が象徴されていなければならない”としたスティーグリッツの写真の最大の特徴は、この象徴性にあるといって良いだろう。
アウグスト・ザンダー《Boxers》 1928 printed by Gerd Sander in 1988
スティーグリッツよりも約10歳年下のアウグスト・ザンダー(1876-1964)も絵画的な写真を脱却し、写真独自の表現を開拓した写真家だ。ザンダーは、現在のドイツ連邦共和国ヘルドルフ生まれ。写真スタジオで肖像写真を撮ることを生業としていたが、1920年代時初期「Gruppe Progressiver Kunstler(進歩的芸術家の会)」に加わり、“人物写真で当時の社会を記録する”という計画に取り組むことを決意する。
この計画『20世紀人間たち』は、ヴァイマル期のドイツのすべての職業と階級、生活領域における人々の肖像写真を要覧として秩序づけ、社会構造を提示するというものであった。
ザンダーの写真の新しさはここにある。21世紀を生きる私たちは、写真に慣れてしまっていて、ザンダーの写真のどこが画期的であったのかは見えにくい。ザンダーがなぜ近代写真のパイオニアの一人といわれるのかを知るには、それ以前の肖像写真はどのようなものであったのかを知らなければならない。
それまでの肖像写真は、ブルジョワジー(中産階級)が自らの像を残すためのものであった。絵画のようにてまひまのかかる肖像は、貴族や有産階級のものであったが、写真技術の浸透により、ブルジョワジーも肖像を残せるようになったのだ。スタジオには豪奢な調度を取り揃えられ、書割などを用意して、はりぼてではあるが写真にすると見栄えのする背景が備え付けられていた。写真家は現像中のプリントに、ブラシをかけたり、こすったりして、顔のアラを修正した。結果として、美しい瞬間を切り取った、“絵画のような”肖像写真が出来上がる。被写体は視線をカメラに向けず、カメラの存在に気づいていないかのようだ。視線が逸れていることで、現実感が薄れ、絵画的要素が強まることになる。
ザンダーはスタジオでの撮影とは別に、戸外で農夫たちを取り始める。一張羅を着た青年たちは、肖像写真を撮ってもらうことに対してワクワクしていたに違いない。写真を撮ってもらうのに野良着は着ない、というのもまた自然体といえるだろう。そこから始まり、ザンダーは、都市生活を送る人々、サーカス芸人やボクサーといった小ブルジョワジーや無産階級の人々を撮影していった。社会の中で「大衆」とされる人々を「野外」で「あるがまま」に写すということは、「スタジオ」で、「著名人・有産階級」を撮影し、修正をいれて「まるで絵画のように仕上げる」ことからのコペルニクス的転回を見せた、画期的なことであったといえよう。
1920年から21年にかけて、ザンダーは写真にぼかしを入れて絵画のような風合いを出す手法をきっぱりと捨てた。絵画と写真は異なるものであり、絵画の代替物としての写真ではなく、彼自身の言葉を借りれば「厳密な写真」を目指すようになった。彼は写真自体が独自の価値を持つと確信した。絵画は主観や技法によって対象が歪められることが避けられない。一方、写真は被写体をそのまま提示することができる。この点において、写真の独自性が際立つというのだ。
美化の手が加えられていない写真によって、社会全体の構造を捉える目録を作ることーそれが『20世紀の人間たち』が目指したものであったが、ザンダー存命中は印刷されるに至らなかった。
ザンダーは『20世紀の人間たち』についてこのような言葉を残している。
写真は、事物をすばらしい美しさで再現することもができるが、一方でおそろしいほどの真実性をもって再現することもできるし、また、途方もなく欺くこともできる。
私が、健全な人間として、不遜にも、事物をあるべき姿やありうる姿においてでなく、あるがままの姿において見るとしても、これを赦していただきたい。 なにしろ、私にはそうしかできないのだから。
はったりや、見せかけや、わざとらしさのなどの砂糖をまぶした写真くらい、私の嫌いなものはない。だから私には誠実な方法で真実を語らせていただきたい。われわれの時代について、そして
人間たちについて。
ダイアン・アーバスやベッヒャー夫妻など、彼がドイツを代表する写真家たちに与えた影響は大きい。
付け足しておくと、ザンダーの名は水星のクレーターの名前にもなっている。芸術の神であるマーキュリー(水星)のクレーターには世界各国、各時代の様々な芸術家の名前がつけられており、「アクタガワ(芥川龍之介)」「バショウ(松尾芭蕉)」「エイトク(狩野永徳)」「ホクサイ(葛飾北斎)」など、日本人芸術家の名前もつけられている。
参考文献
グンター・ザンダー[編]; 山口知三 訳『アウグスト・ザンダー 20世紀の人間たち:肖像写真:1892-1952』東京リブロポート、1991.5
『東京国立近代美術館と写真 1953-1995』、1995
『アルフレッド・スティーグリッツ展』小田急グランドギャラリー、1985
text: Song Wei
関連ページ
Alfred Stieglitz Miss S.R.
August Sander Boxers
本コラムは、2024年7月12日付のニュースレターにて配信いたしました。
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