INTRODUCTING ARTISTS
Okawa Nanako, Yasuyoshi Tokida, Haruna Niiya
大川菜々子・常田泰由・二井矢春菜
「日々」大川菜々子・常田泰由・二井矢春菜 展 2023.3.16 thu - 4.1 sat
大川菜々子・常田泰由・二井矢春菜3人展 インタビュー
2023/3/16(木)
大川菜々子さん、常田泰由さん、二井矢春菜さんの3作家によるグループ展『日々』を開催するにあたり、3人の作家との対談を行いました。
聞き手:WallsTokyo 島津
展覧会タイトル『日々』について
島 津: 今回の展示は大川さん、常田さん、二井矢さんの3人の作家で開催したいということがまずあって、それからコロナ感染症の3年間に色々私が考えたり、感じたことを思い起こしながら、『日々』というタイトルを付けました。
ステートメントにも書いてあるのですが、コロナの間って、物理的に外に出られなくなって、旅行ができないとか、外食とか展覧会ですらあまり行けなくなって、身の回りのものにフォーカスせざるを得ない状況みたいなのがずっと続いて……それは私だけじゃなくて世間もそんな感じだったと思うんです。
そのうち「断捨離」という言葉をよく耳にするようになって、要は身の回りのものに対し、果たしてこれが必要なものなのかとか、細かいところまで取捨選択を考えることが多くなったことだと思うのですが……これはいつかゴミになる、じゃあその先はどうなるのかとか、前はそこまで考えなかったような気がします。「あ、これ欲しいな」と思ったら買って終わりでその先のことはあまり考えない。でも最近は、これが本当に必要なのかとか、長く使えるものはどれなのかとか、これは再生できるのかとか、そこまで意識するようになった。私だけではなくて、社会全体がこうなった3年間だったんじゃないかなと思っているんです。
身の回りを見つめるということ
そんな中で3人の作家さんの作品に共感を覚えたっていうのが、壮大な……例えば社会問題とかそういうテーマではないんだけれども、足元を見つめることで世界を見る、みたいなところで、それでこの展覧会を企画しました。
ちょっと違う角度からインタビューを進めると、昔、女子大にはたいてい家政学科っていうのがあったんですよ。時代の流れとともに、女性が家庭に入るとか、良妻賢母になるという考え方が時代遅れになってしまって、家政科って今どうなのか分からないけど、あんまりないんじゃないかなと思うんです。
でも私は、家政って結構いい学問だったんじゃないかと思うんですよ。もちろん良妻賢母を目指すのがいいとかではなくて、自分たちが何を食べるのかとか、それにはどういう栄養があるのかとか、栄養だけじゃなくて、どうやって美味しく食べるのかとか、服を着るのも寒さをしのぐだけのものではないし、どういうファッションなのか、ファッションももっと言えば、多かれ少なかれ自分の主義を表明する手段になるし、さらに言えば、その服を洗うときにどんな洗剤を使うのか、服の風合いを保ち、清潔にしつつもそれが人体や環境にどんな影響を及ぼすのか、どんな家に住むのかというのも、デザインやテクノロジーを含め安全かつ快適な暮らしを考えるという、そこまで学ぶ、研究する分野だったと思うんです。身の回りのものとか生活っていうのはすごく当たり前で凡庸なことかもしれないけれど、自分たちがどう生きるのかとか、他者を含めた環境にどう接していくのか、どう考えていくのかっていう、すごく切実なテーマが含まれていると思うのです。
みなさんの作品を見ているとすごく親しみやすいし、私自身もついつい「可愛い」とか「素敵」とか短絡的な言い方をしてしまうんですけれども……私、作品を見るっていうのは、表層を見るっていうのはもちろん、表層を通してその奥にあるものを読み取っていくっていうことだと思っているんです。3人の作家さんの作品っていうのは、その表面の奥に何かしっかりしたものがあるという風に感じておりまして、一見親しみやすいけれども、芯に作品としての、何て言うんでしょうか、強度がある。それは、日々の生活の芯にある「生きる」という強さにも似ているように思うのです。
それぞれの作品について伺う
今、3人でくくってしまったんですけれども、当然ながら3人にはそれぞれのテーマに対するアプローチ、フォーカスの仕方っていうのがあると思うので、その辺りを聞いてみたいと思います。
島 津: 常田さんは身の回りのものを図案化したりだとか、パターンとか色の組み合わせも面白いんですけれども、木版をずっと専攻されていらっしゃったんですね。
常 田: そうですね。
島 津: 木版の特徴っていうのを教えていただけますか?
常 田: リトグラフだったら筆跡を写すことができるけど、木版は手の跡が別のものに変換される度合いが強い。元の形が全然違うものとして現れるところでしょうか。
島 津: 筆跡とか人の手の跡みたいなものが一回消されてフラットな感じになるっていうか……。
常 田: そうですね。僕は自分が描いた感じを直接出したいわけではなくて、むしろ自分の感じが見えない、見せないくらいの表現が好きで、それが木版で制作している理由だと考えています。
島 津: なるほど。ところで、常田さんは色の組み合わせが、なんというか、すごく心にくいなといつも感じていて、
常 田: そうですね。色は感覚的にやっているんですけど、アイルランドで展示したときに日本的な色だって言われたことが印象的でした。
島 津: そうなんですか、アイルランドで。
常 田: 僕はどちらかというと西洋的な色あいに影響されているのかなと思っていたんですけど。実際使っている色っていうのは、結構日本的な組み合わせだったりするかもしれない。街の色、住んでいるところの色が反映されているのかなと思います。大学院で愛知にいたときは、周りが木しかない。東京造形大学も木しかなかったけど。
二井矢: 緑と空(しかない)。
常 田: そのころの作品は自然の色というか、グレーっぽい色が多かった。
二井矢: 原色が(作品に表れ)ないのってそういうところから来ているんですね。
島 津: 作品の色は、インク自体がその色なんですか?
常 田: 色はそんなに混ぜないで使っているんです。スワローのインクは日本っぽいよね。
二井矢: あー、確かにそうですね。
島 津: スワローとは?
常 田: スワローっていうリトグラフのインク。そのベースになる色が日本っぽい。
島 津: その日本っぽいっていうのは少しこう落ち着いたトーンってことなんですか?
常 田: なんとなくそんな気はする。
二井矢: アメリカで自分の絵を展示をしたときに現地に行ったのですが、アメリカってすごく日差しが強いんですよ。そのせいか全ての色合いがパキッとしていて、そこで自分の絵を置いたら、自分の絵の色がすごくくすんでいたんですよ。
常 田: くすんで見えた?
二井矢: くすんで見えました。日本で見ている時はこんなに色のトーンが落ちているって気付かなかったのに、他の国に行った時に「わぁ落ちてる」って思って、そこから結構もっと明るい、あまり色を混ぜないようにしようとかそういうふうに意識を変えました。
常 田: 落としすぎないように?
二井矢: そうそう。国によって色の感覚って結構変わってくるんだなって。友達が言っていたけど、アメリカに行った時にすごい(色が)ホックニーだって言ってて、「そういうことなんだなぁ」みたいに思いました。
常 田: そうだね、そういう感じがあるね。この土地だからこの色になるなぁみたいなものってすごくしっくりくるよね。
島 津: 色彩って無意識のうちに影響されるものなのですね。
常 田: そうですね、直接的にピックアップするわけじゃないけど、雰囲気としては選択する色というのは、そこの場所の空気感も影響していると思います。
島 津: 普段の生活で色とか意識されたりしますか?
常 田: 絵の色がよく見えるように他のところを抑えるようなことはしています。原色のものを隠したりとか……。
二井矢: (原色が見えると)ちょっと嫌ですよね。私は前のアトリエ床が緑で、
常 田: ペンキのやつね。
二井矢: そう。それを避けるために移動したみたいな感じです。
島 津: そんなに影響与えるものなんですね。
二井矢: そうですね。
常 田: いや、もう絵が見えなくなっちゃうから。
島 津: 昨日二井矢さんから伺ったお話に「あぁそうなんだ」と思ったことがあって。二井矢さんは、モチーフが……鳥とか、デザイン的にデフォルメって言うのかどうか分からないですけれども、装飾的な感じにデフォルメされていらっしゃって、なので私は、大体のイメージで描かれているのかなと思っていたんですよ。けれども、昨日の話聞いたらすごい実はそのモチーフをよく観察して調べて描いてらっしゃって。
二井矢: 意外と「これ、これ、」みたいに描いていますね。シルクスクリーンってあんまり細かい描写ができないので。
島 津: インクがそのまま乗るから細かい描写に向いていないのでしょうか。
二井矢: そう、細かい描写しちゃうと何版も重ねないと……自分のやり方だと何版も重ねなくてはならないので。全体観でもう既に何十版になるのに、そこから描写を入れると途方もない数になっちゃうから、例えば草を描くとして、一つの草に対してなるべく二版で終わらせたり。光が当たっている部分の色と影の部分の色の二版、みたいに。なるべく手数を減らして全体を描くように作っているから、何かを簡略化せざるを得ないんです。版画ってすごい時間かかるし、なんかもう端折って端折ってみたいな。それに、あまり描きすぎると、その時に見た感動が薄まるというか……見たのは一瞬だから、一瞬のこのパッて見た雰囲気みたいなものを絵に起こすために、描写しすぎるとちょっと的外れみたいな感じになるように思って。一回描写しすぎたことがあって、説明的になりすぎるっていうのも自分の中では違うな、と。見る人のために、余白、思考をする余地というか、なんていうか……
常 田: 余地、想像する余地。
二井矢: そう、見る人に想像してほしいっていう。それで今の形になっているのかなって思います。
島 津: 割と実際に見たことを絵にされていますよね。
二井矢: そうですね。
島 津: 例えば、鳥を見たら調べたりとかするんですか。
二井矢: あぁ、そうですね、しますね。気が向いた時に。気が向いた時だからあまり全部は知らない。
島 津: 《海のアオバト》という作品があって、お客さんに説明するために私も調べたんですよ。アオバトって、初めて知ったんですけど、本当にあんな色で、なんかグリーンがかった鳩なんですよね。
二井矢: そう、鳩なんです。普段は山にいて、時期になると海に海水を飲みに来るっていう緑色の鳩。たまたま見ることができて、「あっ、あれが噂のアオバトだ」って、伝説のポケモンみたいな、なんかそういう気分で感動しました。これは面白いなって思って。個人的な感動で。そういうのを自分は人にアオバトを見てすごく綺麗だったよとか、言葉で言ってもあまり伝わってないなって感じて……あまり言葉の力って信じていないというか、言葉に自信が持てないっていう性格もあると思うんですけど、自分の言葉ってのれんに腕押しみたいな、何かそういう風に感じて……
島 津: 言葉の場合、1説明するのに10言ってもまだ何か言い足りてないんじゃないかみたいな……
二井矢: そう、なんか全然伝わっていないみたいな、元々考え方がネガティブなので、すごく明るい絵を描いているつもりなんですけど、感情的には悲しさとか……日常生活しているとそういうの忘れるんですけど、やっぱりふとしたことでそういう悲しさとか嫌なこととかを思い出す。多分みんなもそういうことあると思うんですけど。だから明るい気持ちになった時のことを絵に描いているみたいな、そういう明るい気持ちになるために絵を描いているっていうと、やっぱり自分が悲しみに囚われ続けているんだなって再確認して、すごく悲しい気持ちになるな、と。
常 田: 僕は心をどっちにもならないようにしている。悲しくも楽しくもないっていう感じにしたい。悲しい絵、楽しい絵を描きたいと思わないし、ニュートラルさを目指しているっていうか……
二井矢: そう、(私も)フラットでいたいんですけど。……だから自然物ってすごいフラットだから、ずっと同じサイクルで花が咲いて枯れて、で、また何事もなかったように咲いてみたいな……
常 田: まさにそうだね。
二井矢: そういうのを見ていると安心するっていうか……悲しみがあって気付いたって感じなので。小さい頃とか私あまり花とか別に好きじゃなくて、むしろ嫌いな方で……
島 津: え?そうなんですか?意外です。
二井矢: そうなんです。生きているうちでいろいろ感じて、花とか自然のものとかがだんだん好きになって、そういうのに目がいくようになった。
島 津: 二井矢さんの絵こそ、「わぁ可愛い」とか「素敵」ってなっちゃうけど、ただやっぱりそれだけじゃないっていうのは感じます。ネガティブとおっしゃっていたけど、そういった部分は表面には出ていないけど、作品を裏打ちしているような……
二井矢: 自分ではその点についてはすごい気を付けてて、可愛さの中にちゃんと見せるものがないと多分人ってそのまま流れていくって思っています。自分でもやっててつまんないと思うし、可愛いだけじゃないように気を付けて作っています。
島 津: 二井矢さんの作品のすごいところは、凄みを全面に出していない、なんと言えばよいのか……
常 田: 抑制されてる、
島 津: うん、そうです、凄みが抑制されている。
二井矢: あー良かった。
島 津: それでいうと大川さんも、割とこう懐かしいなみたいな叙情的な感じもあるんだけど、ちょっと乾いた感じもするんですよね。ちょっと突き放したような、そこがすごくいいなと思っていて、今展のステートメントにも書いてあるけれど、スナップ写真みたいな、特に思い入れもなくパシャっと撮ったような、ここがすごく面白い。水性木版の色、かすれた感じの色合いとか、モチーフとか懐かしい感じとかが、木版っていうメディウムに合っていると思うんですけれども、木版の持ち味みたいなのっていうのは、どういう風にお感じになっていますか?
大 川: 一旦版に起こすことで、(描画の線がそのままでないので)自分から離れるというか、個人的な思いや感情が直接表れにくくなる。作品にあまり自分を出さない方が今はしっくりくる感じがしています。
常 田: 木版の好きなところはどんなところ?
大 川: 木版、やっぱあのテクスチャーっていうんですか、平坦な感じがすごく気に入っています。
島 津: テーマはどうやって選んでいるのですか?
大 川: テーマは自分の見たものとか経験したものからが基本的に多くて、自分の分かる感覚の範囲内で作っている感じです。
島 津: なるほど。すごくその、まぁそれこそ、壮大なテーマ、どっかの遠いところのものっていうよりは……
大 川: 自分の性格自体が地味というか、あまり派手なことをやりたいみたいなのもないので、絵も自然とそうなっているんだろうなとは思います。
島 津: 制作ってどういう工程を踏んでいらっしゃるのですか?まずスケッチしてとか、写真で、とかって……
大 川: そうですね、写真を参考にすることが多いです。普段から撮りためて、だいぶ昔に撮ったものとか遡って描いたりもします。
島 津: それは制作のために撮るのでしょうか。
大 川: そんな感じですね。写真としてはイマイチなのばっかりで。あんまりいい写真すぎるとそれで完成されちゃっている気がするんで、絵にする必要ないなって思うんで、なんでもないものをちょっと楽しくというか、少し特別に描けたらなと思うんです。
島 津: 写真としてはイマイチっていうのはおもしろいですね。制作の余地みたいなのが必要なのでしょうかね。
常 田: 写真っぽい感じもあるし、ちょっと記憶っていうか自分の思い出みたいな感じが出ているね。
島 津: そうですね、記憶っぽい。それがまた水性木版特有の質感にすごく合っているように思います。大川さんの絵には、空間の中にものが存在するときの緊張感……なんと言ったらいいのか、空間とものが接する際(きわ)に生まれる緊張感みたいなもの、それを描いているわけじゃないのだろうけど、そんなピリッとした印象も受けます。
みなさんの視点を通して、つまり、みなさんの作品を通して世界を見渡すと「世界はまだまだ捨てたものじゃないな」って思えて少し救われる感じがします(笑)。それって、物品による豊かさではない、もっとこう、身の丈にあった、大袈裟にいうと自分が自分で良かったと思えることの豊かさ、それを再確認できるからだと思うのです。
本日はありがとうございました。
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