INTRODUCTING ARTISTS
Walls Tokyo Interview with Artist #1
-- 藤元さんはアート、デザイン、社会問題への取り組み、アートプロジェクトも含めて縦横無尽に活動されています。そのひとつひとつへの取り組みと、これらの活動に通底するものをうかがえたらと思います。
自分の作品やアクティビティの前提として、一個人の意見だけでなく、現代で活動するアーティストとして何をすべきかを考えています。これまでの社会において、戦争や人種差別や地球温暖化による異常気象など、顕在化する社会負荷や環境問題など、我々の手には負えないような“問い”があり、そして時代の動向、過去との比較などを組合わせて作品のテーマを決めていきます。そのなかで自分は、社会の色々な意味での「エネルギー」とそれらにまつわる人の性、そして社会現象との関係を背景に作品コンセプトを発展させています。現代美術表現の一側面として、社会的な”問い”を浮き彫りにして可視化することがアーティストとしての役割だと考えています。
-- FABRICA(イタリア)【*1】は藤元さんにとってどのような場所でしたか。
【*1】1994年にベネトンが設立したコミュニケーション・リサーチセンター
FABRICAは、世界中から25歳以下のクリエーターが集まり、グローバル視点でデザインコミュニケーションを実践する場所で、僕がいた頃(1999-2000年)は、人権、戦争、民族などの社会ギャップをモチーフにすることが多かったです。FABRICAは写真家のオリビエロ・トスカーニ【*2】がベネトンと一緒に立ち上げた組織で、前出のテーマをファッションの広告ビジュアルとしたのが当時とてもインパクトがありました。FABRICAの同じ建物内に上部組織として「COLORS」という世界数十ヶ国で出版される雑誌の編集部があり、世界中のリサーチャーとともに、世界中の視点の違う常識などをテーマごとにまとめている編集部の様子を見られたことは、現在の活動にとても影響していると思います。
-- そちらではどういったことをされていたのですか?
僕はデザインデパートメントにいたのですが、そこでは当時エキシビションの空間作りや、プロダクトデザイン、FABRICAの中で進行する様々なプロジェクトを現実的に落とし込んだり、店舗の設計をやるようなこともあり、ヴィジュアルコミュニケーションだけではなくて、体験を創っていくような場所でした。個人的にはグラフィックデパートメントに乗り込んで勝手にアイデアを提案したり、映像チームと作品を一緒に作ったりと自由にやっていましたね。
-- 世界中の異なるバックグラウンドを持つクリエーターと協働することとは?
当時のFABRICAのメンバーはヨーロッパ、アメリカ出身者が多く、アジア出身は少数で、香港出身も一人いましたが、日本人は僕ともう一人だけ。そういう場所で25歳以下の若者たちが、何か実質的なプロジェクトだけではなく、一緒に生活して泣いたり笑ったり闘ったり、小さなコミュニティーで、人種差別みたいなことも織り交ぜながら、高いモチベーションで制作していました。日本人の視点しか持っていなかった僕には強烈だったし、今でも付き合いがあるような仲間が出来る貴重な経験でした。
-- 藤元さんのタブロー作品を拝見し、画面全体を覆うエネルギーに圧倒されました。どのように描かれているのでしょうか。
昨今は絵画作品制作にも注力していて、重力とか光とか時間を意識しています。制作で心がけているのは、人が手で描く制御できないような物理現象を作品の中に固定化していくこと。例えば油性と水性の絵の具を同時に使い、混ざらない物理現象を重力の力で描くとか、別の溶剤を同時に混ぜたりだとかして、壊れていくような現象を敢えて作る、そういうようなことを考えながらやっています。
-- 壊れていき、また生成していき……みたいなものが画面に定着しているということですね
まさにそうです。地球の地面も固体であるかと思いきや大きくみれば液体のようにゆっくり動いていて、大きな力の影響で山ができていくとか、スケールの違いはあるけれどキャンバスの上でそれと同じような現象が起こっているのを固定しています。
-- 一見ドリッピングやポーリングの手法で描いているように見えますが、特殊な塗料を使用し、部分的に先に落とした絵の具を後から落とした絵の具の上に持ってきていると伺いました。
”Replacement”シリーズでは、抽象絵画ドローイングの既視感からの逸脱を狙い、フィルムの上で乾いたドローイングパーツを剥がしコラージュしていきます。くぐらせたり、流れをつながっているように見せたり、絵の具の重なりを編んでいくようなことで時系列を逆転させています。もう一方でこれは(キャンバスのような平面ではなく有田焼の壺に描いている作品を指して)、これは絵具が滴れていません。普通釉薬は液体なので重力方向に展開しますが、ドローイングのパーツを後から貼っているので、全く滴れていないことろや、様々な方向性があったり、重力を無視した物理現象に抗うことで違和感みたいなものを描こうとしています。
-- 社会とアートを結びつける活動として具体的にどういった試みをされていますか。
物理的な作品の制作だけではなくて、アートプロジェクトとして活動しています。2010年頃から NEW RECYCLE® という新しい概念のリサイクルマークを作品としてアップデートするというプロジェクトから始まり、不要になったものをアートにおいて再価値化して作品にするということで”ARITA AULA”シリーズや、海ごみの”Last Hope”シリーズなど様々な素材で続けています。2016年に『2021』というプロジェクトを立ち上げました。これは東京オリンピック2020に関するプロジェクトです。「TOKYO 2020」のような象徴を得るとき、日本人は権威的に価値を作って猛進します。それに対してポピュリズムが不平等などを唱えて足を引っ張る、でもこのオリンピックが終わった後どうするのかというところまで踏み込んでいるのかが見えてこない。アートの振る舞いとして、その先を考えようとするシンボルを『2021』として立ち上げ、様々な場所に設置するパフォーマンスと記録を作品とし、コラボレーションなどを重ねました。最後に開発とアートをテーマに『TOKYO 2021』というイベントをやりました。それをまとめたものが書籍【*3】と映画【*4】になっています。」
【*3】TOKYO 2021実行委員会編著『TOKYO 2021 -アートと建築から時代に向き合う-』青幻社 2021年
【*4】『TOKYO 2021 -アートと建築から時代に向き合う-』Amazonプライムビデオにて配給
-- 確かにオリンピックの一連の流れはなんとなくごみ問題とも似ている感じがします。「これ良さそう」ってワッとなって買って、結局捨てて……
結局社会って問題視しながらも解決しようとしますが、人間の欲望が勝ていまいます。そんなことを繰り返しながら現実的に追い込まれてきている。リサイクルや省エネが発達しても、エネルギーの観点で言うと全体としてよりエネルギー消費規模は拡張する方向で、シュリンクする(しぼむ)というのは歴史上ない。そういう事実に我々がどう向き合うのかが”問い”だと思います。
-- 一つの目標に向かって社会が盲目的に邁進するということ、それがいいとか悪いとかではなくって……
そうですね、善悪論ではなくて。そういう事実を表象化していくことをアートプロジェクトとしてやっていて、2019年から海ごみについてリサーチを始めました。
-- 海ごみはどういうプロジェクトなのでしょうか。
社会構造の中でほとんどのごみは処理されますが、そのサイクルから溢れ出てしまったものが海に流出し、海流に乗って国境に関係なく散逸して、世界中お互い様で流れ着いている現実。海ごみとはいったい何なのかということを知りたくて、自分で実際の海ごみを海岸に探しに行き、それを素材に状況も含めてアート作品を作るというプロジェクトです。海ごみは世界中の海岸に漂着する様子をテレビやネットで散見していて、プラスチックがすごい量だとか、分解されずマイクロプラスチックなど生態系に取り込まれているだとか、「これはもう大変だ」という噂ばかりで実際に見たことはがない。まずは実勢の海ごみの情報を持っている人に会いにいくところから始まり、人が行かないようなところで海ごみが大量に漂着しているところを見つけて、持ち帰らずその浜で溶かして作品にするという話に発展します。漂着ごみについてリサーチしていく中で「集めたものをどうしているのですか」と自治体に聞くと「基本的には焼却処分している」と。海ごみは潮で汚れていて混入物があったり、要は単一素材じゃないとリサイクルできない。自治体や有志で一生懸命海ごみを集めて結局燃やすわけです。海ごみの処理にはお金がかかり、自治体の税金を投下するので優先順位がある。観光資源として評価されない場所は後回しでいつまでも処理されない。場所によっては地元にごみ処理能力がなく、わざわざ船で運んで別のところで処理して……とにかく金がかかる。仮に処理してもまたすぐ流れ着くわけです。「悪者のいない絶望」というかまさに社会の”問い”であり、こういった事実をひっくるめて作品として可視化していくアートプロジェクトです。
-- 「LAST HOPE」というタイトルは、どういう意味合いがあるのですか。
社会構造から溢れ出てしまった“腫れ物”をプロダクト(工業生産品)としてリサイクルすることは様々にトライされていますが、マスプロダクションとして採算を出すのが非常に難しい。ですがアート作品になら可能性があると考えました。なぜなら、海ごみを集めて作られる作品には同じものが一つもない。美術作品は唯一性にこそ価値がある。逆に言えば、その価値の変換こそが唯一の最後の希望ではないか、そういう意味で「LAST HOPE」とネーミングしました。ですが、なかなか評価されず売れるまでに3年くらいかかりましたね。
-- もともとごみだったっていうと抵抗があるというか、ドキっとしますよね(笑)
100年くらい前のダダイズムあたりからいわゆる絵の具ではないもので絵画を形成する動きがヨーロッパから出始めて、1960年代くらいにアメリカで、ラウシェンバーグやジョン・チェンバレンなどの抽象表現主義の拡張中で、ジャンク・アートが出てきて、素材をそのまま使い作品化する。素材自体の意味を作品コンセプトに取り込む。それまでの美術の様式を逸脱するという、ダダイズムやネオダダの延長線上に脈々と今に続いています。僕の海ごみ作品と呼応するのはジョン・チェンバレンだと思っています。当時は車のパーツなどの廃棄品(金属)などを潰して組み合わせて彫刻とする、着色せずにプロダクトの色をそのまま使って構成していく作品のシリーズです。僕の海ごみの作品についても、そもそも鮮やかに着色されたプラスチックを組み合わせて溶かして抽象化するということで、素材そのままの色が絵面になっていく。時代が変わり素材がプラスチックに移行した抽象表現主義として、現代リアリティからの文脈になっていると考えています。
-- 素材の変化にも時代の影響を感じるところがありますね。
おもしろいのは、海ごみは素材がグローバルなこと。日本の海岸線にはアジアの様々な国から集まってきていますが、さらに黒潮に乗ってアメリカの西海岸まで漂着している。全くコントロールできない素材自体が移動して、たまたま漂着した海岸で、拾い集めて、その浜で制作する。ローカル問題の側面あり、相互関係が面白いと思っています。
-- 地産ですね。地消ではないけど。
環境問題が問われるようになって、『海に物を捨ててはいけない』という考え方、感覚というのは実はここ数十年のことで、近年までは海はごみを捨てるところだった。産業革命以降、人類が蠢くようになっても捨ててきたわけです。それがこれまでに一億トンとか一億5千万トンくらい流出して、自然分解せずにどこかに存在する。それを回収することも不可能だし、増えていくことを止められない。我々はそういう星の下に生きていているけど、我々は海が綺麗なものだとなんとなく信じている。2020年にJAMSTEC(国立海洋研究機構)の海ごみ(マイクロプラスチック)調査船に乗りましたが、海表面を網でさらうニューストンネットっていう調査で20分くらい曳航すると、ネットには微生物と一緒に少量のマイクロプラスチックが入っている。驚いたことに世界中どこで調査してもマイクロプラスチックが入らなかったことはないと聞きました。ということは、全ての海表面にはマイクロプラスチックが漂っているのではないかと想像しました。見えないけれど、もうそうなっている。それをテーマにしてFountain#Neustonplasticsという映像作品シリーズがあります。海面をビデオカメラで撮って上下左右鏡像にして、中心から外に向かって万華鏡みたいに海面が展開します。見えないけれどマイクロプラスチックが湧き出ているという作品です。
-- 有田焼の磁器作品も興味深いです。
有田焼は言うまでもなく伝統ある工芸品です。2013年、有田焼の窯元でコラボレーションで商品化するという話からリサーチに入り、倉庫に数十年分のB(級)品含めた在庫が積まれていて、販売する予定はないと知ります。陶器は一度焼成すると、縄文土器が現在も残っているように、土には還らない。有田焼だけではなく、陶磁器の窯元は産業構造上在庫が残っていても新商品を作り続けなくてはならならず、何世代も在庫がたまり続けていく。もともとは有田焼というのは細密な絵柄を手で描いて、大名に献上するとか万博に出すとか、希少性の高いものだったけれども、明治期以降有田焼を高級工芸品として一般販売するゲームチェンジが起こった。複製技術を発達させ、いかに正確にクオリティを維持して大量に売るかという価値観。量産の中で必ず10%は自主基準を通らず残り、さらに売れ残りも出る。”ARITA AURA”は焼成されたデッドストックの磁器に、大量に残っている焼き付け用の絵柄転写シートを切り出しコラージュし焼き付ける作品シリーズです。量産のために作られたパーツの組合せで、唯一性のある美術作品として提案しました。さらに有田焼の様々な技法を組合せて展開を続けています。有田焼様式の中でのNEW RECYCLE®︎と言えます。
突き当たった壁としては、唯一性のある美術品として提案しても、有田焼の価値の重力圏から出られない。伝統工芸(大量生産)の有田焼は、サイズと仕様で値段感って大概決まっていて、「これはアート作品です、一点ものです」と訴えたところで、『有田焼のこの壺だったらいくらぐらい』と決まっている。全く売れなかったというわけではありませんでしたが、有田焼の再生作品という枠、工芸品とアート作品の狭間の難しさを見たわけです。そこで近年”Replacement#ARITA”シリーズを始めました。『有田焼の様式から外れてしまおう』と。Replacement同様、釉薬ではないドローイングパーツを編み込みながら貼り付けて、しかも焼き付けない(一応耐水性はある)。焼成や焼き付けなどの釜焼きには膨大なエネルギー消費しますので。有田焼、ひいては焼き物ではない新しい何かに変換していくということをトライしています。
-- 最初の質問に戻ると、それぞれの活動を通した作品制作に通底していることって、社会の消費構造のから生まれる余剰に対して、価値変換を可視化していくと言うことなのでしょうか。
エネルギーを巡る人々の性(さが)みたいなもの、もっと言うと、善意としてのリサイクルアクティヴィティも実はエネルギー的には非効率的になる事実。だったらやらない方がいいのではないかという、ぎりぎりのせめぎ合い、どっちが環境にいいのだろうという話ですよね。電気自動車も、(一見エコフレンドリーだけど)化石燃料燃やして電気を作るわけだし、ソーラーパネルだったらソーラーパネルを膨大なエネルギーを使って作っていずれは大量の産廃になる。その上で『電気を使って無害です』と謳うのだけれども、そこを換算しないで(EVは)ガソリン車よりすばらしいのかわからない。ガゾリン車が真っ当に、技術開発を100年以上続けてきている中で、どちらの効率がよいのか考える余地がある。新しいから電気に変えた方が産業的盛り上がるという理由でやっているのかもしれませんが。今後新しい建物の屋根にソーラーパネル設置を義務化するという話も出始めていまして、それならば仮にそれが20年経って、(パネルが)ゴミになった時にとんでもないことが起こるということが想像される…
-- ちょっとそこまでは考えていなかった。手放しで環境にいいとしか思っていなかったです。
社会というのは現代生きる人を蔑ろにして、未来のためには機能できない。でも未来はやってきて子供たちが微妙なことになってしまう。それこそが僕の”問い”です。アートアクティビティとしてそういうことに興味がある。一方で、絵画とかタブローとかについては、もう少し純粋に、美術作品として向き合っています。全てにおいて、今僕が言ったような矛盾とか問いとかを描いているわけではないです。それらのコンセプトを取り込みたいのだけどアクティヴィティではないので抽象的な部分もあります。そこは僕も矛盾と言えば矛盾になってしまうので以前は苦しみました。
-- まあ、矛盾がないというのもあり得ないですものね。
僕のアートアクティビティ自体が問いになっているというか、僕個人の問いですけど。単純に好きなのです。抽象的な現象で絵を描くことが好きで、それが今言ったようなアートアクティヴィティと乖離していたとしても続けたい。最初に話したFABRICAでは世界をどういうふうに見るかということを吸収できた。だけど、デザインでは問いそのものを描くことはないから美術に来たのだと思います。なのでファイン・アートとして様々な側面から社会と自分自身に向き合って作品を作るようにしています。
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