Introducting Artists

About

井上 実

Minoru Inoue

井上 実

井上実は1970年生まれ。東京造形大で絵画を専攻するが中退し、渡仏。帰国後も一貫して絵画制作を続けています。 井上の絵に対する真摯な姿勢は、そのまま作品に反映されていて、モチーフはどこにでもある、普段は目に止めることなどほとんどない草叢や、ベランダに置かれ、放置されたプランターの中の枯れた植物や昆虫ですが、嫌味がなく、崇高ささえ感じさせます。 それは、彼が可能な限り「意図」というもの排除し、絵を「作る」ことをせず「描く」ということに集中した結果の表れだと言えるでしょう。 20代はずっと「現代美術」というものに縛られ、なんとか自分のものにしようと奮闘してきましたが、上手くいかず、常に居心地の悪さを感じ続けていたと言う井上。そして開き直りにも似た気持ちで「作る」という「意図」を捨て、「描く」ことのみに集中したとき、初めて手応えを感じたと言います。以来、さらなる紆余曲折を経ながら自身の絵画を探求し続けています。 「現代美術」から離れたという井上ですが、現代では、一昔前の巨匠的な、作家性の強い芸術家像が希薄になり、作品における作家の主体性が解体してきています。その意味では、井上の絵画は非常に現代的だとも言えるのではないでしょうか。

Biography

1970年 大阪府生まれ
1992年 東京造形大学造形学部美術科Ⅰ類退学
1992-3年 フランス滞在

主な個展
2002年  exhibit speace Vision’s,東京
2003年 「project N 14」東京オペラシティアートギャラリー,東京
2004,5,7年 「岡村多佳夫企画16,19,21」 アユミギャラリー,東京
2006,9,11年  switch point,東京
2013年  プラザギャラリー,東京

主なグループ展
2007年 「井上実 天本健一展 -散歩と部屋-」 文房堂ギャラリー,東京
2008年 「第四回造形現代芸術家展 - 変換される視線」 東京造形大学付属横山記念マンズー美術館,東京
2011年 「KAITEKIのかたち」展 スパイラル,東京
2013年 「視触手考画説」 TOKYO ART MUSEUM,東京
2014年 「イタヅクシ」 See Saw gallery + cafe , 愛知県立芸術大学サテライトギャラリー,愛知

井上実展 ギャラリートーク

井上実、野口玲一(三菱一号館美術館 学芸グループ長) 

2016 年12 月3 日(井上実展にて)

 

 

本資料は、2016 年 12 月 3 日におこなわれた、井上実個展のギャラリートークを聞き書きしたものです。このイベントは、三菱一号館美術館・学芸グループ長の野口玲一氏の解説を交えながら井上実の画歴を継時的に見ていくというものでした。


 その内容からは、制作するにあたっての作家の思考や意識といった内面はもちろん、それに影響を与えた時代や社会といった外的な要因にも触れたことで、90 年代からゼロ年代にかけての美術ムーヴメントをも見て取ることができます。


 80 年代後半から 90 年代初頭は、いわゆる「絵画」や「彫刻」がもはや時代遅れの表現方法のように言われた一方で、美大を受験するにあたり、それら “伝統的な” 表現技法を基礎として徹底的に叩き込まれ、それができて初めて自由な表現に説得力が出てくる、というセオリーが通底していたように思われます。しかし、いざ美大に入り、好きなことをしようとしても、自分が何をすべきかわからない、何を表現したいのかもわからない、そのような美学生が潜在的にかなりいたのではないでしょうか。

 井上実は、30 年に届く画歴の中で、多様化する表現手段を行きつ戻りつしながら、自分にとって「必然性のある」、別の言い方をすれば、「実感の持てる」やり方は何かを探り続けてきました。そしてある時点で、「絵を作る」のではなく「ものを描く」という美大受験のためのデッサンをひたすら続けていた頃に立ち返ることになるのですが、それは、時代の流れを遡った、原点回帰ということではなく、むしろ、トークの最後に野口氏が指摘をしているように、作家性という「主体」が希薄になったポスト現代アートとでも呼ぶべき「今」の美術の潮流に重なる、ある意味で新しいタイプの表現方法に至ったとも言えるのです。

 

|井上作品との出会い|

野口:「さっき打ち合わせで話していて、自分が『井上実』という作家がいるって、はっきり認識したのは、割と最近だと気付きました。ここに小さい作品があるんですけれども、その作品がどうも最初らしいと知って、懐かしい思いがしているんです。2012 年に岡村多佳夫先生の退官の展覧会があった神楽坂のギャラリーですね。

 

作品のことも、その時に彼とした話も不思議なことによく覚えていて、絵具とキャンバスのことを聞いたんですね。薄塗りの作品なんだけれど、これを油絵具でやるのは結構大変で、良い絵具と、キャンバスもすごく良いものを使わなきゃいけないという話を聞いていたんです。何か独特の技法でこういう作風ができているんだな、というのを覚えているんです。それ以降、近年の作品を見ているので、それについてちょっと話をしてくれないかということで今日呼ばれたっていう次第なんです。

 

と、思っていたんですけれども、実は、もっと前に彼の作品を見ていたってことに気が付いたんです。僕が以前勤めていた美術館の同僚を介して僕の奥さんが彼と奥様(文香さん)にお会いしてるんです。文香さんはイラストレーターをされていて、ある時『重ね煮』っていう料理のレシピ本を描かれていて。その後我が家の食卓にはその『重ね煮』が頻繁に登るようになったという話は置いといて、それを介して、妻が井上さんと会っていて、なんと作品を購入していた。6 号ぐらいですかね、3 号か、とっても小さい作品で、春菊と椎茸が描いてある作品が家にあって観ていた。それにはエピソードがあって、描いたら後は食べちゃったとかっていう話を聞いたりもしたんですけど、ただ、全然今と作風が違うんです。全体を草が覆い尽くすというものじゃなくて、まあ、モチーフも実際に草とはいえ食材で、こういうオールオーバーな感じじゃないんですね。

何も描いていない背景のところに、大きな感じで春菊と椎茸が並んでいて、それを描いている。作風が違っているので結び付かなくて、後から話を妻から聞いて、同じ作家だということに気が付いた。それが2006年か2007年か。10年くらい前なんです。そんな経緯で、だから今、みなさんに見ていただいている会場のこの作風っていうのは意外に最近のものなんですね。ここに至るまでに、すごい変遷と、今日これからだんだんお話を聞けると思うんですけど、悪戦苦闘というのがあって、それがすごく面白いので、徐々に彼を解剖していくように、ゆっくりとお話を聞ければ、と思ってます。よろしくお願いします。」

 

|90 年代、美大受験と “現代美術” のギャップ|

井上:「まず、1991 年、僕が東京造形大学に入った時の作品 (1)、これが大学入りたての頃に描いていたものなんですけど、91 年て、今とだいぶ世の中の風潮が違っていまして、大学入って、まず僕は絵描きになるぞって入ったんですけど、『絵描いてちゃだめ』ってことをまず言われたっていうか、全員がそういう共通認識のもと、で、勝手に時代がそういう風に進んでたっていうか......」

(1) 1991 年 油彩、キャンバス 65.2×53.0cm

 

野口:「インスタレーションとか流行ってた時代ですね。」

 

井上:「受験生の間は油絵科を受験したので絵を描いていたんですけど、インスタレーションとか知らなくて、何も知らないで、絵描きだから絵を描くと思ってやっていたんですけど、入ったら『絵描いちゃダメ、インスタレーション。』って言われて、あと、『コンセプトがないとダメ』とか、それがすごく強烈に入れられたっていうか突きつけられて、ま、そんなこと言われても、何かあんまり必然性っていうか、急にインスタレーションって言われたって何のことかもわからないし、木を置いたり、鉄板を置いたり、何かそんな感じで、理屈が付いててっていうか......」

 

野口:「みなさんはご存知ないかも知れませんが、本当にそういう時代があって、僕は、東京藝術大学の理論の方にいたんですけど、卒展に行くと、油画の人なんか絵描いている人は誰もいないんですね。今は時代が変わっちゃって、油絵の人はみんな絵を描くようになりましたけども、そんな時代があったんですね。」

 

井上:「それで大学一年生だったんですけど、ほとんど家で描いてたんですよ。それ(1)がその時の。抽象絵画に憧れていたので、受験生の時の受験の絵が終わって、『じゃあ描くぞ』って思って、とりあえずやったっていう感じのものですね。」

 

野口:「いよいよ好きなものが描けるっていう感じだったんですか?」

 

井上:「そうですね。デュビュッフェとかフォートリエとかってヨーロッパの戦後のアンフォルメルの抽象絵画とかすごく好きだったんで、絵の具のマチエールのこってりしたやつとか大好きで、いろいろやったんですね。」

 

野口:「そういう感じですね。」

 

井上:「砂混ぜたり、セメントみたいの、左官屋のやつで、石膏混ぜてガッてやったりして。大学に 1 年は行ったんですけど、絵描いちゃダメだとか何だとかで、ちょっと行ってもしょうがないような気がして、2 年の時に辞めたんですね。大学を。で、昔からヨーロッパとかに憧れがあったので、フランスに行こうと思って、2 年になる年にフランスに行ったんですよ。これ(2)はそこで、自分のアパートで描いてたものです。(スライド画像を見て)あ、これ(3) はもう帰っちゃった後です。パリに住んでたんですけど......」

 

 

(2) 1992 年 岩絵具、紙 26.5×35.0cm

 

(3) 1994 年 油彩、キャンバス 38.0×45.5cm

 

野口:「これ何年くらいでしたっけ?」

 

井上:「92 年の 7 月に行って、93 年の 12 月まで一年半ぐらいいたんですけど。それもだから日本の、絵描いちゃダメとかって、何だかなと思って行って、向こう行ったら本当にそうだったんですよ。ベネチアビエンナーレとか、見に行ったんですよ。そしたら牛がまっぷたつ(ダミアン・ハースト)だったり、ナチスのマークがあって、床全部割ったりとか、」

 

野口:「ハンス・ハーケですね?」

 

井上:「そうですね。受賞式とか......」

 

野口:「あれは結構有名な......」

 

井上:「ナムジュン・パイクとかいたんです。どさくさで入れたんですよ、オープニング。草間彌生とかいて。で、絵じゃなくて牛がまっぷたつとか。汚物を撒き散らしたような、きったない、汚れた下着とか、何かそういうインスタレーション。羊の角の付いた男の顔の写真のやつとか。」

 

 

|ニューペインティング、フォーマリズムの波|

井上:「その時はジェンダーとかいうのが流行ってたみたいで、本当にそんなのばっかりなのかなと思って、で、もうしょうがないなと思って、帰ろうと思って、日本帰って、一からというかゼロからやろうと思って帰って来て描いてたやつです。相変わらずマチエールとか好きだったんですけど。帰って来たのが 93 年の末で、94 年から八王子に帰って来て、どうしていいかわからなくて、大学も辞めてたし。ちょうどその時何か日本で絵が流行ってたんですよ。150 号。猫も杓子も 150 号だったんですよ。」

 

野口:「いわゆるニューペインティングというブームになった時ですね。90 年代。」

 

井上:「言ってみたら、初めて受験のための予備校とか行った時に、F15 号ばっか描いてんるんですよ、受験生って。それみたいに、F150 号だったんですよ。何だっていう感じしたんですけど、何やっていいかわからないから自分も 150 号描いたんです。」

 

野口:「この頃は結構大きなものを描いていて。(4)」

(4) 1994 年 油彩、キャンバス 179×203cm

 

井上:「相変わらずマチエールがぐちゃぐちゃしてるだけのもので、どうにもこうにもなんないっていうか......」

 

野口:「90 年代に流行り出したペインティングって、神話を描くとか、物語性の復権とか、特定の具象的な画題を描くっていうのが流行ってたから、大きな絵画であっても、そういうのとは隔っている感じの作品だったんでしょうね。」

 

井上:「僕が知ってる範囲では、フォーマリズムみたいなのがちょっと流行ってたような気がしたんですけど、」

 

野口:「中村一美とか。」

 

井上:「フランス行って、帰って来て、浦島太郎みたいになってたら、友達が、今こんなん流行ってるんやぞって言って教えてくれたんですよ。そういうのも、どうやっていいのかわからないので、もがきながらやってたっていうか。......これ、94 年ですね。じゃ次に。あ、そうで
すね......それでですね、94 年にさっきのでっかいの描いて、もう本当、何の必然性もないっていうか、自分の中で手応えもなかって、ちょうどもう一つ批評とか現代批評みたいなんが流行ってたんですよ。流行ってたっていうか、それも友達が、今こんなんらしいぞって教えてくれて、『批評空間』とかってご存知ですか?柄谷行人とか、」

 

野口:「岡崎乾二郎とか。」

 

井上:「すっごい難しいこと書いてて、『これ読まないとダメらしいぞ』って。」  会場:(笑い)

 

野口:「一応やってみるところがすごいですね(笑)」

 

井上:「全然、何て言うんですか、言語的に物事を理解するのそんな得意じゃないんですけど、あれ、すごい難しいじゃないですか?」

 

野口:「難しいですね、ええ。」

 

井上:「もう読んだら、次の行にいったらすぐ忘れるぐらい難しい。買ってみて読んだりするんですけど。で、『コンセプトかぁ』と思って、『やらないとダメなのかぁ』とか思って、やって、初個展するんです (5)。97 年で。コンセプトっていっても全く意味不明で、白とグレーと黒で描くとか、何の根拠もないんですけど、何やっていいかわからないんですよ。だからもう......」

(5) 個展 1997 年 4 月 7 日~12 日 ギャラリー現
左:1997 年 油彩、キャンバス 227.5×182cm
右:1996 年 油彩、キャンバス 211.5×170cm

 

野口:「ルールを課して描いたってことですか?」

 

井上:「そうですね。何もないから、そういう状態になって、これは赤と青と緑で描くとか。」

 

野口:「それでもさっきまでのモノクロームな感じのとは変わってきていますよね。ルールを設けて描いたってだけで、それ以上のことは特に考えていないって言い切っちゃうところが面白いですよね。」

 

井上:「それでまあ、やってみて本当に嫌になって、ちょっと、もう、でかい絵はすごく場所もとるし、お金もかかるし、出来栄えもそうですし、もう嫌になってやめます。これで 1 年、もう、だから 94、5、6、7 まで大きめの描いて、ちょっともう一旦やめよう、と。話になんないと思って、」

 

野口:「出来栄えに満足していなかったということもあるんですか?」

 

井上:「そうですね、出来栄えも満足してないし、やってることも、何て言うんですかね、自分の絵を描いてる気が全くしないっていうか、やみくもですね。」

 

野口:「何となくこういうことしなきゃいけないんじゃないかって描いてるみたいな感じなんですかね?」

 

|「引用」、パターンペインティングの影響|

井上:「あ、これ、そうですね、あの、さっきのやつって、形態自体もぐにゃぐにゃしているものだけだったんですけど、ちょっとそれじゃあれかなと思って、何か、引用するらしいとかいうことを、『引用』とか流行ってた......『何かを引用する』っていう。で、まあ、植物の模様を借りて何か作るとか、それもただの思いつきっていうか、苦し紛れなんですけど、ちょっとスライドでは出なかったんですけど、フランス行って、何て言うんですかね、ちょっとホームシックみたいになって、具合悪くなって、もう絵とかも全然一年以上描いてなかったんです。最初の時だけあれ(2)描いてたんですけど、もう残り一年は何も描かない状態だったんですけど、その時に、あの、落ち葉のデッザンを、デッサンはすごい好きだったんですよ。で、落ち葉をデッサンしたり、あと、自分で買ってきたニンニク、食べる、ニンニクをデッサンしたりしてたんですけど、だから、植物は、何か困った時は植物を描くっていうのがあって、それでこの唐草模様も。(6)」

(6) 1997 年 油彩、カーボン紙、キャンバス 65.2×53.0cm

 

野口:「あ、唐草模様なんですね。結構、『引用』とか、パターンペインティングが流行った時でもありますよね。」

 

井上:「そうですね、そういうの聞きかじって、やったんだと思うんですけど。」

 

野口:「ポストモダンの風潮の中で、新しく創造するということの難しさが言われた時期に、制作の方法としてパターンとか、ある対象を引用して、それを制作の元にするっていうのは、方法論としてはよくやられていたんですよね。」


井上:「これで左っ側のやつ (7)、カーボン紙なんですけど、」

(7) 1998 年 カーボン紙、キャンバス 33.3×24.2cm

 

野口:「カーボン紙?」

 

井上:「はい、カーボン紙に模様が入っているんですけど、切れめが。それは、あの、植物の、これはもう引用じゃなくて、自分の家にあっ
た、ポトスって観葉植物があるんですよ。スペードみたいな形して、緑で、こう、」

 

野口:「葉っぱの形?」

 

井上:「おんなじ葉っぱがつく。それをたまたま見て、あ、これでいいんじゃないかって思ったんですよ。あの、あえて唐草模様とか、どうのこうのじゃなくて、面白いからこれでいいかなと思って、その時から自分の見た植物の形態を借りて作品を作るっていうか。紙を切ってもういっぺん貼ってるだけなんですけど。」

 

野口:「これ、描いている訳じゃなくって。」

 

井上:「そうですね、切って貼っただけで、本当は、切って何かコラージュみたいなことをしようと思っていたんですけど、あの、部屋にぐちゃぐちゃになってたのを、寝る時に片そうと思って、元に戻したら面白かったので、戻しただけでもいいんじゃないかなと思って、それを作品にしたものです。(8)」

 

野口:「何となく置いたものが、それが作品になったという。」

(8) 1998 年 紙、キャンバス 33.3×24.2cm

 

 

|切り紙作品が受けたことで却って不安に|

井上:「そうですね、それっぽく見えたので......これもそうですね。全部ポトスです。紙を切って貼り直すっていう。で、これで個展をするんですよ。あの、1 回目の無残な個展の後に。で、なんか受けちゃったんですよね、これが、ちょっと。何か面白いみたいなこと言われて。こういうの好きな人が割と一定数いるんで。」

 

野口:「こういうのっていうのは?」

 

井上:「白くて、何か思わせぶりっていうか、意味ありげな、みたいな。それですごく困るっていうか、嫌になったんですよね。切り紙の作家みたいにされたらどうしようかって。怯えて、一回の個展で、もう、すぐ撤収。」

 

野口:「受けたことで却って不安になっちゃってというところもあるんですね?」

 

井上:「そうですね。これは次の年にまた個展して(9、10)、絵具に戻すんですよ。もう、そういう切り紙の作家だとか、現代何とかだとか厭だったんですね。あの、絵を描きたかったから、ちょっとやばいと思って、絵具に戻したんですけど、それでもパッとしないっていうか......」

 

(9) 1999 年 油彩、キャンバス 33.3×24.2cm

(10) 個展 1999 年 4 月 12 日~17 日 ギャラリー現

 

野口:「描く方法についてはさっきの切り紙のやり方に近いですよね。」

 

井上:「そうですね、あれのモチーフそのまんまだったんで、ただそれを絵具に変えただけっていうか。これは、まあ、全く受けずに......」

 

野口:「これだと受けないんですね。不思議ですね。」

 

井上:「何のあれもなく。でも自分の中では絵に戻ったんでホッとしたんですけど。これで前に進めるっていうか......」

 

野口:「この辺まではそういう......あ、ちょと変わりましたね。(11)」

(11) 1999 年 油彩、キャンバス 33.2×24.2cm

 

井上:「そうです、これまた次に個展をした時に、あの、にゅるにゅるに描いてたやつをもうちょっとガチッとさせてみたんですけど、」

 

野口:「白く残っているのはこれ、輪郭を残しているんですか。」

 

井上:「そうです。結局紙で切ったやつの続きで制作してたんで、この時が一番制作が、こう、ひどくて、何て言うんですかね、あの、ここに載ってるのは、まだこれでもマシな方で、これ (12) はまぐれで、ちょっとは見栄えがましなんですけど、何て言ったらいいんですかね、本当に、こう、やればやるほどひどくなるっていうか。」

 

(12) 1998-9 年 油彩、キャンバス 33.3×24.2cm

 

野口:「そのひどいっていうのは、どういう?」

 

井上:「今見てそう思うんですけど、今って絶対こんな色使いっていうか、絵具のつけ方ってしない。これ、こうやろうと思ってなかったんですよ。もっといけてる風にやりたかったのに、あの......わからないんですよね。技術的にもうちょっと洗練させてやればもうちょっと垢抜けて見えたんでしょうけど、そういうことも知らないで、ガリガリガリガリ描くんですよ。で、どんどんダサくなるっていうか。イメージの中では、もっとマチスの切り紙とかみたいに、洒落てるイメージだったんですけど、もうやってることが全然違うんですよね。イメージと。思い込みが激しいっていうか。」

 

野口:「実際に見ているのに、それが見えてないみたいな、感じなんですかね。」

 

井上:「この間引越しの時にこの辺のやつのがいっぱい出てきて、びっくりするぐらいひどい絵がものすごい大量にあったんですよ。何でこんな絵描くのかなっていう、でも、すっごくいいの描こうと思って、」

 

野口:「その時は真剣な訳ですよね。」

 

井上:「ものすごい必死なのに。あの、ピンクと水色だけで描いた絵とかあって、何かハートマークみたいなのが入ってんのがあって、ハートが植物なんですけど、」

 

野口:「これもみんな全部モチーフとしては植物 ?」

 

井上:「そうですね、ポトスか、ポトスに似たアイヴィーっていう、全部観葉植物なんですけど、」

 

野口:「もうでも対象の色には......固有色にはこだわらないで、そこに自分の好きな色をつけて。」

 

井上:「そうですね。」

 

野口:「輪郭を白く残すっていうのは、今と繋がるところはありますよね。」

 

井上:「多分、重ねていくのが苦手だったんですよ。油絵具を受験生の時に全く使えないまま終わって、大学入っても使えたためしがないっていうか、初めて油絵具が自分なりに使えたって思ったのが 31 歳の時。これが今 29 歳ぐらいの時。」

 

野口:「じゃあもう少し後になるんですね?」

 

井上:「迷走中ですね。」

 

 

|ミレニアム、自らに課していた「“現代美術” であること」から離れる|

井上:「これ(13)、30 歳の時なんですけど、2000 年ですね。ちょっと開き直って、あのー、本当に滑り倒して、貸画廊借りて毎年やってたんですけど、ものすごく客も少ないし、全く売れないし、毎回個展が終わったら寝込むっていうか、その繰り返しだったんですけど、30歳になって、2000 年とか言って、ミレニアムとか言って、大騒ぎ、世の中がして、すごいうろたえたんですよ。2000 年て数字になったことに衝撃を......何て言うんですかね、びっくりしちゃって、」

(13) 2000 年 油彩、キャンバス 33.3×24.2cm

 

野口:「時代が変わっちゃう、みたいな。」

 

井上:「何かね、2000 て書いてるの......自分が30歳ってことにうろたえたんですよね。で、まずいって思って、」

 

野口:「何とかしなきゃいけない、みたいな。」

 

井上:「それで、ちょっと開き直って、“現代美術” とかっていうことの、何て言うんですか、強迫観念ていうか、そういうのをずっと 20代に感じていて、それを、もういいんじゃないかなと思ったのが、その 30 歳の時のうろたえた時なんです。もうやめようと思って。もう “現代美術” じゃなくていいやって思ったんです、その時。俺、絵描きたかったんだなと思って。そうなんですよ、あのー、結局ベネチアビエンナーレで、牛まっぷたつ見て、嫌だと思って、絵描きたいと思って、帰ったのに、帰ったら今度は “現代美術” じゃないとダメだみたいな、」

 

野口:「日本も “現代美術” の方にどんどん行っちゃうっていう。」

 

井上:「そう。何て言うんですか、洗脳じゃないけど思い込みで、自分でこうどんどん閉じていくっていうか、それをもう嫌だと思って、2000 年ぐらいにちょっと、もうちょっと楽に、好き勝手でいいじゃないかっていうのが、これ(13)とかですね。」

 

野口:「まあ、ある意味吹っ切れたっていう......こと、なんですかね?」

 

井上:「そうですね。この辺、2000 年。」

 

野口:「この辺は今までの発展形なのか、どういうことを考えて描いていたのでしょうか?」

 

井上:「発展ではないんですけど、とにかく好きにやろうっていう......好きにやっていなかったことがすごい嫌だったんですよ。それですね、好きにやらないと......」

 

野口:「自分の描きたいように描きたいっていう......?」

 

井上:「そうですね、やってて嫌だったんですよね、それまでの。嫌だってことに気付いていなかったっていうか。」

 

野口:「“現代美術” に洗脳されて、こういうことをやらなきゃいけないんじゃないかって思ってたんだけども、それが自分のやりたいことではなかったということに気付いたという......」

 

井上:「やらなくていいんじゃないかなって思って。」

 

野口:「結構長い時間かかってますよね、そこに行くまでね。この時は (14)、キャンバスの剥き出しの白い地に色を置いていくっていう仕事で、」

(14) 2000 年 油彩、キャンバス 24.2×33.3cm

 

井上:「これも全部植物とか。」

 

野口:「モチーフとしては植物?」

 

井上:「左は植物で (15)、右は窓から見た景色なんですけど (16)、木があって植物があるっていう。」

(15) 2000 年 油彩、キャンバス 33.3×24.2cm

(16) 2000 年 油彩、キャンバス 33.3×24.2cm

 

野口:「この時は、余白がきれいに目立ってる作品ですね。」

 

井上:「そうですね。あの、好きにやっていいって思ったんですけど、好きにやったら、何て言うんですかね、全部描けなかったんですね。画面を。それで余白が結果的に多く残ってるっていうか。これ (17) は、2001 年なんですけど、割と開き直って、絵具を自分なりに使えるぞと思ってやった時の個展です。またちょっとガチッとした感じに......あんまりこれはラフな感じではないんですけど。」

 

(17) 個展 2001 年 4 月 2 日~ 7 日 ギャラリー現

 

野口:「この頃はだからすごく小さい作品なんですよね。」

 

井上:「4 号、6 号、8 号ってだいたい 40 センチとか 50 センチくらいの。あの、でかい絵を 20 代に描いて、全然良くなかったんで、それをやめてからずっと、ちっさいのでやってましたね。」

 

野口:「前の大きなモノクロームの作品からすると随分密やかな印象の作品という感じです。」

 

井上:「そうですね......そうですね。密やかなっていう、あの、あんまりこうガンガンアピールする絵が好きじゃなかったっていうか、そういうのはありますね。」

 

野口:「色の純度も上がってきてますよね。最初の頃はかなり暗い色だったけれども、純度が高くなってる感じがありますよね。これは何年くらいですか?」

 

井上:「これ(18)は 2001 年ですね。これ(19) はちなみに初の企画......自分でお金を払わないで展示できたときで、あの、評論家の鷹見明彦さんてもう亡くなったんですけど、が呼んでくれて、鷹見さんは、あの例の白い切り紙が好きだったんですよ。」

 

(18) 2001 年 油彩、キャンバス 27.3×27.3cm

 

(19) 「minimum continuation // 継続 」2000 年 exhibit LIVE

 

野口:「あ、ポトスの。」

 

井上:「で、『あれでいかないか』って言われて、『嫌です』って言って。結局半分だけってことで、(画像 (19) を参照しながら)右半分に白い紙があって、一個だけ写ってる、で、左はその時描いていた絵だと思います。」

 

野口:「えっと、ポトスを描いていたのは何年頃でしたっけ?」

 

井上:「ポトスはもうずっとなんですけど。」

 

野口:「あ、ポトスの切り紙は何年?」

 

井上:「あれはね、98 年。でこれは 2001 年ですね。」

 

野口:「じゃあ、2、3 年開きがあるんですね。」

 

井上:「ようやく絵具でできだしたので、30 歳......31 歳になって、絵具が使えたっていう。」

 

野口:「ミレニアムを迎えて何とかした、みたいな感じなんですかね。」

 

井上:「そうですね。これ(20)が、2001年。自分で絵具使えたんで、初めて楽しかったんですね、描いてて、あの......油絵を描いてて。10 年来。これ(21)2002 年ですね。これも植物なんですけど。もうこの頃はすごい楽しくて、ようやくちょっとやりたい風にできてきたな、と思って、これも植物ですね。」

 

(20) 《アラベスク》2001 年 油彩、キャンバス 60.6×60.6cm

 

(21) 《地図》2002 年 油彩、キャンバス 41.0×38.1cm

 

野口:「理論的にものを進めていくというよりも、実際にこう色々やってみて、それで自分に合うか合わないか身をもって試して、少しずつ進んでいくって感じですよね。」

 

井上:「これもポトスとかアイヴィーばっかりですね。」

 

野口:「この辺から絵具が薄くなり始める?」

 

井上:「そうですね、2種類......この時のパターンで、薄塗りと、割と固い絵具を併用するっていうのが自分の中のパターンになっていたんですけど、不透明っぽいねっとりした絵具をつけるのと、薄く溶いたじゃぶじゃぶのやつで描くっていう、自分なりの描き方っていうか......」

 

野口:「この時は、一つの画面の中に並存している感じだったんですね。」

 

井上:「そうです。最初の、マチエール好きっていう 20 代の時の、あれの名残で。絶対絵具が厚めのやつがついてないと嫌だったんですよね。」

 

野口:「そこまでこだわってた。」

 

井上:「そうです。でも薄い方が、簡単に......今思えばできてたんですけど、ちょっと薄いばっかりじゃ嫌だなって思って、」

 

野口:「そこに気付くのもなかなか時間がかかるんですね。」

 

 

|Project N 東京オペラシティ アートギャラリーに選出される|

井上:「そうですね。それで、こんなことやってて(22)、これも何か植物の、白地がいっぱいで、形の部分、割と部分ですよね、部分のちょこちょこって描いたやつが、それがなんかちょっと受けて、『project N』っていうオペラシティの廊下であるやつ、それに選んでもらったんですね。それが、2003 年ですね。これがその時の代表的な作品で (23)、植物の部分だけ描いて、白地が多く残ってる......これが、まあ、上手くいった典型で、オペラシティでやった時の DM に載っかったやつですね。この時はこれ、まあ、割と上手くいったかなって思ったんですけど、やっぱりあの、部分しか描けてないってことがちょっと引っかかっていて......これもこういう絵を描こうと思ったんじゃなくて、描けるとこまで描いて筆が止まったっていうだけなんですよね。......これ以上描いたらおかしくなっちゃうんじゃないかなっていう。この時描いてた絵ってほとんどそうで、白地を残そうと思ったんじゃなくて、結局描けないで残ってっていう、そういう絵ばっかり描いてて、それがちょっと嫌だなって思って、その後に、2005 年ぐらいから......」

(22) 《あじさい》2002 年 油彩、キャンバス 24.2×33.3cm

(23) 《キンレンカ》2002 年 油彩、キャンバス 45.5×38.0cm

 

野口:「そこを何とかしようと思って?」

 

井上:「そうですね。部分だけで、ものだけで、白地を残すっていうのが、やっぱり全然しっくりこないっていうか、納得いかないんで。それに取り組むのが 2005 年からなんですけど、その間にこういうのが、シクラメンとか (24)、部分で、ものだけで、全部描けない、っていう、こういうのがずっと続くんですよ。(他の画像を見ながら)これもシクラメン描いてるんですけど。じゃ、次が《袋と野菜》(25) っていう、」

(24) 《シクラメン》2005 年 油彩、キャンバス 41.0×31.8cm

 

(25) 《袋と野菜》2003 年 油彩、キャンバス 41.0×31.8cm

 

野口:「やっとこう自分で好きなことができるようになったのに、だんだんそこも違うっていうか、不完全だって思い始めて......」

 

井上:「これは、トマトとトウモロコシとサヤエンドウと椎茸と。嫁さんのおばあさんが送ってきてくれた野菜がすごいきれいだったんで。でもこれもやっぱり全部描けないんですよね。」

 

野口:「『全部描けない』っていうのはもっと描けるっていうことなんですか?」

 

 

|対象を描くことと絵を描くことの違い|

井上:「何て言うんですかね、あのー、ちょっとよくわからないんですけど、僕は受験生の時は、デッサンが大好きで、デッサンだったら本当に楽しくてしょうがなかったんですけど、油絵になったら、急にあんまりパッとしなくて、もの描いているのは好きなんですけど、それがいざ絵を描くって感じになると、自分の描く感覚通りに進めなくなるんですよ。で、気持ちいいところだけ描いて止まるっていう。」

 

野口:「それ以上に進めなくなっちゃう。」

 

井上:「そうなんです。筆が止まっちゃうんです。潰れちゃいそうな気がして。感じてた感覚が。その、画面の中で。こういう風に、『あ、上手くいった、上手くいった』ってやってるうちに、『あれ?』って。これ以上描いたら、出てた感じが潰れそ

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