INTRODUCTING ARTISTS
Minoru Inoue
井上 実
井上実は1970年生まれ。東京造形大で絵画を専攻するが中退し、渡仏。帰国後も一貫して絵画制作を続けています。 井上の絵に対する真摯な姿勢は、そのまま作品に反映されていて、モチーフはどこにでもある、普段は目に止めることなどほとんどない草叢や、ベランダに置かれ、放置されたプランターの中の枯れた植物や昆虫ですが、嫌味がなく、崇高ささえ感じさせます。 それは、彼が可能な限り「意図」というもの排除し、絵を「作る」ことをせず「描く」ということに集中した結果の表れだと言えるでしょう。 20代はずっと「現代美術」というものに縛られ、なんとか自分のものにしようと奮闘してきましたが、上手くいかず、常に居心地の悪さを感じ続けていたと言う井上。そして開き直りにも似た気持ちで「作る」という「意図」を捨て、「描く」ことのみに集中したとき、初めて手応えを感じたと言います。以来、さらなる紆余曲折を経ながら自身の絵画を探求し続けています。 「現代美術」から離れたという井上ですが、現代では、一昔前の巨匠的な、作家性の強い芸術家像が希薄になり、作品における作家の主体性が解体してきています。その意味では、井上の絵画は非常に現代的だとも言えるのではないでしょうか。
井上実展 ギャラリートーク
井上実、野口玲一(三菱一号館美術館 学芸グループ長)
2016 年12 月3 日(井上実展にて)
本資料は、2016 年 12 月 3 日におこなわれた、井上実個展のギャラリートークを聞き書きしたものです。このイベントは、三菱一号館美術館・学芸グループ長の野口玲一氏の解説を交えながら井上実の画歴を継時的に見ていくというものでした。
その内容からは、制作するにあたっての作家の思考や意識といった内面はもちろん、それに影響を与えた時代や社会といった外的な要因にも触れたことで、90 年代からゼロ年代にかけての美術ムーヴメントをも見て取ることができます。
80 年代後半から 90 年代初頭は、いわゆる「絵画」や「彫刻」がもはや時代遅れの表現方法のように言われた一方で、美大を受験するにあたり、それら “伝統的な” 表現技法を基礎として徹底的に叩き込まれ、それができて初めて自由な表現に説得力が出てくる、というセオリーが通底していたように思われます。しかし、いざ美大に入り、好きなことをしようとしても、自分が何をすべきかわからない、何を表現したいのかもわからない、そのような美学生が潜在的にかなりいたのではないでしょうか。
井上実は、30 年に届く画歴の中で、多様化する表現手段を行きつ戻りつしながら、自分にとって「必然性のある」、別の言い方をすれば、「実感の持てる」やり方は何かを探り続けてきました。そしてある時点で、「絵を作る」のではなく「ものを描く」という美大受験のためのデッサンをひたすら続けていた頃に立ち返ることになるのですが、それは、時代の流れを遡った、原点回帰ということではなく、むしろ、トークの最後に野口氏が指摘をしているように、作家性という「主体」が希薄になったポスト現代アートとでも呼ぶべき「今」の美術の潮流に重なる、ある意味で新しいタイプの表現方法に至ったとも言えるのです。
|井上作品との出会い|
野口:「さっき打ち合わせで話していて、自分が『井上実』という作家がいるって、はっきり認識したのは、割と最近だと気付きました。ここに小さい作品があるんですけれども、その作品がどうも最初らしいと知って、懐かしい思いがしているんです。2012 年に岡村多佳夫先生の退官の展覧会があった神楽坂のギャラリーですね。
作品のことも、その時に彼とした話も不思議なことによく覚えていて、絵具とキャンバスのことを聞いたんですね。薄塗りの作品なんだけれど、これを油絵具でやるのは結構大変で、良い絵具と、キャンバスもすごく良いものを使わなきゃいけないという話を聞いていたんです。何か独特の技法でこういう作風ができているんだな、というのを覚えているんです。それ以降、近年の作品を見ているので、それについてちょっと話をしてくれないかということで今日呼ばれたっていう次第なんです。
と、思っていたんですけれども、実は、もっと前に彼の作品を見ていたってことに気が付いたんです。僕が以前勤めていた美術館の同僚を介して僕の奥さんが彼と奥様(文香さん)にお会いしてるんです。文香さんはイラストレーターをされていて、ある時『重ね煮』っていう料理のレシピ本を描かれていて。その後我が家の食卓にはその『重ね煮』が頻繁に登るようになったという話は置いといて、それを介して、妻が井上さんと会っていて、なんと作品を購入していた。6 号ぐらいですかね、3 号か、とっても小さい作品で、春菊と椎茸が描いてある作品が家にあって観ていた。それにはエピソードがあって、描いたら後は食べちゃったとかっていう話を聞いたりもしたんですけど、ただ、全然今と作風が違うんです。全体を草が覆い尽くすというものじゃなくて、まあ、モチーフも実際に草とはいえ食材で、こういうオールオーバーな感じじゃないんですね。
何も描いていない背景のところに、大きな感じで春菊と椎茸が並んでいて、それを描いている。作風が違っているので結び付かなくて、後から話を妻から聞いて、同じ作家だということに気が付いた。それが2006年か2007年か。10年くらい前なんです。そんな経緯で、だから今、みなさんに見ていただいている会場のこの作風っていうのは意外に最近のものなんですね。ここに至るまでに、すごい変遷と、今日これからだんだんお話を聞けると思うんですけど、悪戦苦闘というのがあって、それがすごく面白いので、徐々に彼を解剖していくように、ゆっくりとお話を聞ければ、と思ってます。よろしくお願いします。」
|90 年代、美大受験と “現代美術” のギャップ|
井上:「まず、1991 年、僕が東京造形大学に入った時の作品 (1)、これが大学入りたての頃に描いていたものなんですけど、91 年て、今とだいぶ世の中の風潮が違っていまして、大学入って、まず僕は絵描きになるぞって入ったんですけど、『絵描いてちゃだめ』ってことをまず言われたっていうか、全員がそういう共通認識のもと、で、勝手に時代がそういう風に進んでたっていうか......」
(1) 1991 年 油彩、キャンバス 65.2×53.0cm
野口:「インスタレーションとか流行ってた時代ですね。」
井上:「受験生の間は油絵科を受験したので絵を描いていたんですけど、インスタレーションとか知らなくて、何も知らないで、絵描きだから絵を描くと思ってやっていたんですけど、入ったら『絵描いちゃダメ、インスタレーション。』って言われて、あと、『コンセプトがないとダメ』とか、それがすごく強烈に入れられたっていうか突きつけられて、ま、そんなこと言われても、何かあんまり必然性っていうか、急にインスタレーションって言われたって何のことかもわからないし、木を置いたり、鉄板を置いたり、何かそんな感じで、理屈が付いててっていうか......」
野口:「みなさんはご存知ないかも知れませんが、本当にそういう時代があって、僕は、東京藝術大学の理論の方にいたんですけど、卒展に行くと、油画の人なんか絵描いている人は誰もいないんですね。今は時代が変わっちゃって、油絵の人はみんな絵を描くようになりましたけども、そんな時代があったんですね。」
井上:「それで大学一年生だったんですけど、ほとんど家で描いてたんですよ。それ(1)がその時の。抽象絵画に憧れていたので、受験生の時の受験の絵が終わって、『じゃあ描くぞ』って思って、とりあえずやったっていう感じのものですね。」
野口:「いよいよ好きなものが描けるっていう感じだったんですか?」
井上:「そうですね。デュビュッフェとかフォートリエとかってヨーロッパの戦後のアンフォルメルの抽象絵画とかすごく好きだったんで、絵の具のマチエールのこってりしたやつとか大好きで、いろいろやったんですね。」
野口:「そういう感じですね。」
井上:「砂混ぜたり、セメントみたいの、左官屋のやつで、石膏混ぜてガッてやったりして。大学に 1 年は行ったんですけど、絵描いちゃダメだとか何だとかで、ちょっと行ってもしょうがないような気がして、2 年の時に辞めたんですね。大学を。で、昔からヨーロッパとかに憧れがあったので、フランスに行こうと思って、2 年になる年にフランスに行ったんですよ。これ(2)はそこで、自分のアパートで描いてたものです。(スライド画像を見て)あ、これ(3) はもう帰っちゃった後です。パリに住んでたんですけど......」
(2) 1992 年 岩絵具、紙 26.5×35.0cm
(3) 1994 年 油彩、キャンバス 38.0×45.5cm
野口:「これ何年くらいでしたっけ?」
井上:「92 年の 7 月に行って、93 年の 12 月まで一年半ぐらいいたんですけど。それもだから日本の、絵描いちゃダメとかって、何だかなと思って行って、向こう行ったら本当にそうだったんですよ。ベネチアビエンナーレとか、見に行ったんですよ。そしたら牛がまっぷたつ(ダミアン・ハースト)だったり、ナチスのマークがあって、床全部割ったりとか、」
野口:「ハンス・ハーケですね?」
井上:「そうですね。受賞式とか......」
野口:「あれは結構有名な......」
井上:「ナムジュン・パイクとかいたんです。どさくさで入れたんですよ、オープニング。草間彌生とかいて。で、絵じゃなくて牛がまっぷたつとか。汚物を撒き散らしたような、きったない、汚れた下着とか、何かそういうインスタレーション。羊の角の付いた男の顔の写真のやつとか。」
|ニューペインティング、フォーマリズムの波|
井上:「その時はジェンダーとかいうのが流行ってたみたいで、本当にそんなのばっかりなのかなと思って、で、もうしょうがないなと思って、帰ろうと思って、日本帰って、一からというかゼロからやろうと思って帰って来て描いてたやつです。相変わらずマチエールとか好きだったんですけど。帰って来たのが 93 年の末で、94 年から八王子に帰って来て、どうしていいかわからなくて、大学も辞めてたし。ちょうどその時何か日本で絵が流行ってたんですよ。150 号。猫も杓子も 150 号だったんですよ。」
野口:「いわゆるニューペインティングというブームになった時ですね。90 年代。」
井上:「言ってみたら、初めて受験のための予備校とか行った時に、F15 号ばっか描いてんるんですよ、受験生って。それみたいに、F150 号だったんですよ。何だっていう感じしたんですけど、何やっていいかわからないから自分も 150 号描いたんです。」
野口:「この頃は結構大きなものを描いていて。(4)」
(4) 1994 年 油彩、キャンバス 179×203cm
井上:「相変わらずマチエールがぐちゃぐちゃしてるだけのもので、どうにもこうにもなんないっていうか......」
野口:「90 年代に流行り出したペインティングって、神話を描くとか、物語性の復権とか、特定の具象的な画題を描くっていうのが流行ってたから、大きな絵画であっても、そういうのとは隔っている感じの作品だったんでしょうね。」
井上:「僕が知ってる範囲では、フォーマリズムみたいなのがちょっと流行ってたような気がしたんですけど、」
野口:「中村一美とか。」
井上:「フランス行って、帰って来て、浦島太郎みたいになってたら、友達が、今こんなん流行ってるんやぞって言って教えてくれたんですよ。そういうのも、どうやっていいのかわからないので、もがきながらやってたっていうか。......これ、94 年ですね。じゃ次に。あ、そうで
すね......それでですね、94 年にさっきのでっかいの描いて、もう本当、何の必然性もないっていうか、自分の中で手応えもなかって、ちょうどもう一つ批評とか現代批評みたいなんが流行ってたんですよ。流行ってたっていうか、それも友達が、今こんなんらしいぞって教えてくれて、『批評空間』とかってご存知ですか?柄谷行人とか、」
野口:「岡崎乾二郎とか。」
井上:「すっごい難しいこと書いてて、『これ読まないとダメらしいぞ』って。」 会場:(笑い)
野口:「一応やってみるところがすごいですね(笑)」
井上:「全然、何て言うんですか、言語的に物事を理解するのそんな得意じゃないんですけど、あれ、すごい難しいじゃないですか?」
野口:「難しいですね、ええ。」
井上:「もう読んだら、次の行にいったらすぐ忘れるぐらい難しい。買ってみて読んだりするんですけど。で、『コンセプトかぁ』と思って、『やらないとダメなのかぁ』とか思って、やって、初個展するんです (5)。97 年で。コンセプトっていっても全く意味不明で、白とグレーと黒で描くとか、何の根拠もないんですけど、何やっていいかわからないんですよ。だからもう......」
(5) 個展 1997 年 4 月 7 日~12 日 ギャラリー現
左:1997 年 油彩、キャンバス 227.5×182cm
右:1996 年 油彩、キャンバス 211.5×170cm
野口:「ルールを課して描いたってことですか?」
井上:「そうですね。何もないから、そういう状態になって、これは赤と青と緑で描くとか。」
野口:「それでもさっきまでのモノクロームな感じのとは変わってきていますよね。ルールを設けて描いたってだけで、それ以上のことは特に考えていないって言い切っちゃうところが面白いですよね。」
井上:「それでまあ、やってみて本当に嫌になって、ちょっと、もう、でかい絵はすごく場所もとるし、お金もかかるし、出来栄えもそうですし、もう嫌になってやめます。これで 1 年、もう、だから 94、5、6、7 まで大きめの描いて、ちょっともう一旦やめよう、と。話になんないと思って、」
野口:「出来栄えに満足していなかったということもあるんですか?」
井上:「そうですね、出来栄えも満足してないし、やってることも、何て言うんですかね、自分の絵を描いてる気が全くしないっていうか、やみくもですね。」
野口:「何となくこういうことしなきゃいけないんじゃないかって描いてるみたいな感じなんですかね?」
|「引用」、パターンペインティングの影響|
井上:「あ、これ、そうですね、あの、さっきのやつって、形態自体もぐにゃぐにゃしているものだけだったんですけど、ちょっとそれじゃあれかなと思って、何か、引用するらしいとかいうことを、『引用』とか流行ってた......『何かを引用する』っていう。で、まあ、植物の模様を借りて何か作るとか、それもただの思いつきっていうか、苦し紛れなんですけど、ちょっとスライドでは出なかったんですけど、フランス行って、何て言うんですかね、ちょっとホームシックみたいになって、具合悪くなって、もう絵とかも全然一年以上描いてなかったんです。最初の時だけあれ(2)描いてたんですけど、もう残り一年は何も描かない状態だったんですけど、その時に、あの、落ち葉のデッザンを、デッサンはすごい好きだったんですよ。で、落ち葉をデッサンしたり、あと、自分で買ってきたニンニク、食べる、ニンニクをデッサンしたりしてたんですけど、だから、植物は、何か困った時は植物を描くっていうのがあって、それでこの唐草模様も。(6)」
(6) 1997 年 油彩、カーボン紙、キャンバス 65.2×53.0cm
野口:「あ、唐草模様なんですね。結構、『引用』とか、パターンペインティングが流行った時でもありますよね。」
井上:「そうですね、そういうの聞きかじって、やったんだと思うんですけど。」
野口:「ポストモダンの風潮の中で、新しく創造するということの難しさが言われた時期に、制作の方法としてパターンとか、ある対象を引用して、それを制作の元にするっていうのは、方法論としてはよくやられていたんですよね。」
井上:「これで左っ側のやつ (7)、カーボン紙なんですけど、」
(7) 1998 年 カーボン紙、キャンバス 33.3×24.2cm
野口:「カーボン紙?」
井上:「はい、カーボン紙に模様が入っているんですけど、切れめが。それは、あの、植物の、これはもう引用じゃなくて、自分の家にあっ
た、ポトスって観葉植物があるんですよ。スペードみたいな形して、緑で、こう、」
野口:「葉っぱの形?」
井上:「おんなじ葉っぱがつく。それをたまたま見て、あ、これでいいんじゃないかって思ったんですよ。あの、あえて唐草模様とか、どうのこうのじゃなくて、面白いからこれでいいかなと思って、その時から自分の見た植物の形態を借りて作品を作るっていうか。紙を切ってもういっぺん貼ってるだけなんですけど。」
野口:「これ、描いている訳じゃなくって。」
井上:「そうですね、切って貼っただけで、本当は、切って何かコラージュみたいなことをしようと思っていたんですけど、あの、部屋にぐちゃぐちゃになってたのを、寝る時に片そうと思って、元に戻したら面白かったので、戻しただけでもいいんじゃないかなと思って、それを作品にしたものです。(8)」
野口:「何となく置いたものが、それが作品になったという。」
(8) 1998 年 紙、キャンバス 33.3×24.2cm
|切り紙作品が受けたことで却って不安に|
井上:「そうですね、それっぽく見えたので......これもそうですね。全部ポトスです。紙を切って貼り直すっていう。で、これで個展をするんですよ。あの、1 回目の無残な個展の後に。で、なんか受けちゃったんですよね、これが、ちょっと。何か面白いみたいなこと言われて。こういうの好きな人が割と一定数いるんで。」
野口:「こういうのっていうのは?」
井上:「白くて、何か思わせぶりっていうか、意味ありげな、みたいな。それですごく困るっていうか、嫌になったんですよね。切り紙の作家みたいにされたらどうしようかって。怯えて、一回の個展で、もう、すぐ撤収。」
野口:「受けたことで却って不安になっちゃってというところもあるんですね?」
井上:「そうですね。これは次の年にまた個展して(9、10)、絵具に戻すんですよ。もう、そういう切り紙の作家だとか、現代何とかだとか厭だったんですね。あの、絵を描きたかったから、ちょっとやばいと思って、絵具に戻したんですけど、それでもパッとしないっていうか......」
(9) 1999 年 油彩、キャンバス 33.3×24.2cm
(10) 個展 1999 年 4 月 12 日~17 日 ギャラリー現
野口:「描く方法についてはさっきの切り紙のやり方に近いですよね。」
井上:「そうですね、あれのモチーフそのまんまだったんで、ただそれを絵具に変えただけっていうか。これは、まあ、全く受けずに......」
野口:「これだと受けないんですね。不思議ですね。」
井上:「何のあれもなく。でも自分の中では絵に戻ったんでホッとしたんですけど。これで前に進めるっていうか......」
野口:「この辺まではそういう......あ、ちょと変わりましたね。(11)」
(11) 1999 年 油彩、キャンバス 33.2×24.2cm
井上:「そうです、これまた次に個展をした時に、あの、にゅるにゅるに描いてたやつをもうちょっとガチッとさせてみたんですけど、」
野口:「白く残っているのはこれ、輪郭を残しているんですか。」
井上:「そうです。結局紙で切ったやつの続きで制作してたんで、この時が一番制作が、こう、ひどくて、何て言うんですかね、あの、ここに載ってるのは、まだこれでもマシな方で、これ (12) はまぐれで、ちょっとは見栄えがましなんですけど、何て言ったらいいんですかね、本当に、こう、やればやるほどひどくなるっていうか。」
(12) 1998-9 年 油彩、キャンバス 33.3×24.2cm
野口:「そのひどいっていうのは、どういう?」
井上:「今見てそう思うんですけど、今って絶対こんな色使いっていうか、絵具のつけ方ってしない。これ、こうやろうと思ってなかったんですよ。もっといけてる風にやりたかったのに、あの......わからないんですよね。技術的にもうちょっと洗練させてやればもうちょっと垢抜けて見えたんでしょうけど、そういうことも知らないで、ガリガリガリガリ描くんですよ。で、どんどんダサくなるっていうか。イメージの中では、もっとマチスの切り紙とかみたいに、洒落てるイメージだったんですけど、もうやってることが全然違うんですよね。イメージと。思い込みが激しいっていうか。」
野口:「実際に見ているのに、それが見えてないみたいな、感じなんですかね。」
井上:「この間引越しの時にこの辺のやつのがいっぱい出てきて、びっくりするぐらいひどい絵がものすごい大量にあったんですよ。何でこんな絵描くのかなっていう、でも、すっごくいいの描こうと思って、」
野口:「その時は真剣な訳ですよね。」
井上:「ものすごい必死なのに。あの、ピンクと水色だけで描いた絵とかあって、何かハートマークみたいなのが入ってんのがあって、ハートが植物なんですけど、」
野口:「これもみんな全部モチーフとしては植物 ?」
井上:「そうですね、ポトスか、ポトスに似たアイヴィーっていう、全部観葉植物なんですけど、」
野口:「もうでも対象の色には......固有色にはこだわらないで、そこに自分の好きな色をつけて。」
井上:「そうですね。」
野口:「輪郭を白く残すっていうのは、今と繋がるところはありますよね。」
井上:「多分、重ねていくのが苦手だったんですよ。油絵具を受験生の時に全く使えないまま終わって、大学入っても使えたためしがないっていうか、初めて油絵具が自分なりに使えたって思ったのが 31 歳の時。これが今 29 歳ぐらいの時。」
野口:「じゃあもう少し後になるんですね?」
井上:「迷走中ですね。」
|ミレニアム、自らに課していた「“現代美術” であること」から離れる|
井上:「これ(13)、30 歳の時なんですけど、2000 年ですね。ちょっと開き直って、あのー、本当に滑り倒して、貸画廊借りて毎年やってたんですけど、ものすごく客も少ないし、全く売れないし、毎回個展が終わったら寝込むっていうか、その繰り返しだったんですけど、30歳になって、2000 年とか言って、ミレニアムとか言って、大騒ぎ、世の中がして、すごいうろたえたんですよ。2000 年て数字になったことに衝撃を......何て言うんですかね、びっくりしちゃって、」
(13) 2000 年 油彩、キャンバス 33.3×24.2cm
野口:「時代が変わっちゃう、みたいな。」
井上:「何かね、2000 て書いてるの......自分が30歳ってことにうろたえたんですよね。で、まずいって思って、」
野口:「何とかしなきゃいけない、みたいな。」
井上:「それで、ちょっと開き直って、“現代美術” とかっていうことの、何て言うんですか、強迫観念ていうか、そういうのをずっと 20代に感じていて、それを、もういいんじゃないかなと思ったのが、その 30 歳の時のうろたえた時なんです。もうやめようと思って。もう “現代美術” じゃなくていいやって思ったんです、その時。俺、絵描きたかったんだなと思って。そうなんですよ、あのー、結局ベネチアビエンナーレで、牛まっぷたつ見て、嫌だと思って、絵描きたいと思って、帰ったのに、帰ったら今度は “現代美術” じゃないとダメだみたいな、」
野口:「日本も “現代美術” の方にどんどん行っちゃうっていう。」
井上:「そう。何て言うんですか、洗脳じゃないけど思い込みで、自分でこうどんどん閉じていくっていうか、それをもう嫌だと思って、2000 年ぐらいにちょっと、もうちょっと楽に、好き勝手でいいじゃないかっていうのが、これ(13)とかですね。」
野口:「まあ、ある意味吹っ切れたっていう......こと、なんですかね?」
井上:「そうですね。この辺、2000 年。」
野口:「この辺は今までの発展形なのか、どういうことを考えて描いていたのでしょうか?」
井上:「発展ではないんですけど、とにかく好きにやろうっていう......好きにやっていなかったことがすごい嫌だったんですよ。それですね、好きにやらないと......」
野口:「自分の描きたいように描きたいっていう......?」
井上:「そうですね、やってて嫌だったんですよね、それまでの。嫌だってことに気付いていなかったっていうか。」
野口:「“現代美術” に洗脳されて、こういうことをやらなきゃいけないんじゃないかって思ってたんだけども、それが自分のやりたいことではなかったということに気付いたという......」
井上:「やらなくていいんじゃないかなって思って。」
野口:「結構長い時間かかってますよね、そこに行くまでね。この時は (14)、キャンバスの剥き出しの白い地に色を置いていくっていう仕事で、」
(14) 2000 年 油彩、キャンバス 24.2×33.3cm
井上:「これも全部植物とか。」
野口:「モチーフとしては植物?」
井上:「左は植物で (15)、右は窓から見た景色なんですけど (16)、木があって植物があるっていう。」
(15) 2000 年 油彩、キャンバス 33.3×24.2cm
(16) 2000 年 油彩、キャンバス 33.3×24.2cm
野口:「この時は、余白がきれいに目立ってる作品ですね。」
井上:「そうですね。あの、好きにやっていいって思ったんですけど、好きにやったら、何て言うんですかね、全部描けなかったんですね。画面を。それで余白が結果的に多く残ってるっていうか。これ (17) は、2001 年なんですけど、割と開き直って、絵具を自分なりに使えるぞと思ってやった時の個展です。またちょっとガチッとした感じに......あんまりこれはラフな感じではないんですけど。」
(17) 個展 2001 年 4 月 2 日~ 7 日 ギャラリー現
野口:「この頃はだからすごく小さい作品なんですよね。」
井上:「4 号、6 号、8 号ってだいたい 40 センチとか 50 センチくらいの。あの、でかい絵を 20 代に描いて、全然良くなかったんで、それをやめてからずっと、ちっさいのでやってましたね。」
野口:「前の大きなモノクロームの作品からすると随分密やかな印象の作品という感じです。」
井上:「そうですね......そうですね。密やかなっていう、あの、あんまりこうガンガンアピールする絵が好きじゃなかったっていうか、そういうのはありますね。」
野口:「色の純度も上がってきてますよね。最初の頃はかなり暗い色だったけれども、純度が高くなってる感じがありますよね。これは何年くらいですか?」
井上:「これ(18)は 2001 年ですね。これ(19) はちなみに初の企画......自分でお金を払わないで展示できたときで、あの、評論家の鷹見明彦さんてもう亡くなったんですけど、が呼んでくれて、鷹見さんは、あの例の白い切り紙が好きだったんですよ。」
(18) 2001 年 油彩、キャンバス 27.3×27.3cm
(19) 「minimum continuation // 継続 」2000 年 exhibit LIVE
野口:「あ、ポトスの。」
井上:「で、『あれでいかないか』って言われて、『嫌です』って言って。結局半分だけってことで、(画像 (19) を参照しながら)右半分に白い紙があって、一個だけ写ってる、で、左はその時描いていた絵だと思います。」
野口:「えっと、ポトスを描いていたのは何年頃でしたっけ?」
井上:「ポトスはもうずっとなんですけど。」
野口:「あ、ポトスの切り紙は何年?」
井上:「あれはね、98 年。でこれは 2001 年ですね。」
野口:「じゃあ、2、3 年開きがあるんですね。」
井上:「ようやく絵具でできだしたので、30 歳......31 歳になって、絵具が使えたっていう。」
野口:「ミレニアムを迎えて何とかした、みたいな感じなんですかね。」
井上:「そうですね。これ(20)が、2001年。自分で絵具使えたんで、初めて楽しかったんですね、描いてて、あの......油絵を描いてて。10 年来。これ(21)2002 年ですね。これも植物なんですけど。もうこの頃はすごい楽しくて、ようやくちょっとやりたい風にできてきたな、と思って、これも植物ですね。」
(20) 《アラベスク》2001 年 油彩、キャンバス 60.6×60.6cm
(21) 《地図》2002 年 油彩、キャンバス 41.0×38.1cm
野口:「理論的にものを進めていくというよりも、実際にこう色々やってみて、それで自分に合うか合わないか身をもって試して、少しずつ進んでいくって感じですよね。」
井上:「これもポトスとかアイヴィーばっかりですね。」
野口:「この辺から絵具が薄くなり始める?」
井上:「そうですね、2種類......この時のパターンで、薄塗りと、割と固い絵具を併用するっていうのが自分の中のパターンになっていたんですけど、不透明っぽいねっとりした絵具をつけるのと、薄く溶いたじゃぶじゃぶのやつで描くっていう、自分なりの描き方っていうか......」
野口:「この時は、一つの画面の中に並存している感じだったんですね。」
井上:「そうです。最初の、マチエール好きっていう 20 代の時の、あれの名残で。絶対絵具が厚めのやつがついてないと嫌だったんですよね。」
野口:「そこまでこだわってた。」
井上:「そうです。でも薄い方が、簡単に......今思えばできてたんですけど、ちょっと薄いばっかりじゃ嫌だなって思って、」
野口:「そこに気付くのもなかなか時間がかかるんですね。」
|Project N 東京オペラシティ アートギャラリーに選出される|
井上:「そうですね。それで、こんなことやってて(22)、これも何か植物の、白地がいっぱいで、形の部分、割と部分ですよね、部分のちょこちょこって描いたやつが、それがなんかちょっと受けて、『project N』っていうオペラシティの廊下であるやつ、それに選んでもらったんですね。それが、2003 年ですね。これがその時の代表的な作品で (23)、植物の部分だけ描いて、白地が多く残ってる......これが、まあ、上手くいった典型で、オペラシティでやった時の DM に載っかったやつですね。この時はこれ、まあ、割と上手くいったかなって思ったんですけど、やっぱりあの、部分しか描けてないってことがちょっと引っかかっていて......これもこういう絵を描こうと思ったんじゃなくて、描けるとこまで描いて筆が止まったっていうだけなんですよね。......これ以上描いたらおかしくなっちゃうんじゃないかなっていう。この時描いてた絵ってほとんどそうで、白地を残そうと思ったんじゃなくて、結局描けないで残ってっていう、そういう絵ばっかり描いてて、それがちょっと嫌だなって思って、その後に、2005 年ぐらいから......」
(22) 《あじさい》2002 年 油彩、キャンバス 24.2×33.3cm
(23) 《キンレンカ》2002 年 油彩、キャンバス 45.5×38.0cm
野口:「そこを何とかしようと思って?」
井上:「そうですね。部分だけで、ものだけで、白地を残すっていうのが、やっぱり全然しっくりこないっていうか、納得いかないんで。それに取り組むのが 2005 年からなんですけど、その間にこういうのが、シクラメンとか (24)、部分で、ものだけで、全部描けない、っていう、こういうのがずっと続くんですよ。(他の画像を見ながら)これもシクラメン描いてるんですけど。じゃ、次が《袋と野菜》(25) っていう、」
(24) 《シクラメン》2005 年 油彩、キャンバス 41.0×31.8cm
(25) 《袋と野菜》2003 年 油彩、キャンバス 41.0×31.8cm
野口:「やっとこう自分で好きなことができるようになったのに、だんだんそこも違うっていうか、不完全だって思い始めて......」
井上:「これは、トマトとトウモロコシとサヤエンドウと椎茸と。嫁さんのおばあさんが送ってきてくれた野菜がすごいきれいだったんで。でもこれもやっぱり全部描けないんですよね。」
野口:「『全部描けない』っていうのはもっと描けるっていうことなんですか?」
|対象を描くことと絵を描くことの違い|
井上:「何て言うんですかね、あのー、ちょっとよくわからないんですけど、僕は受験生の時は、デッサンが大好きで、デッサンだったら本当に楽しくてしょうがなかったんですけど、油絵になったら、急にあんまりパッとしなくて、もの描いているのは好きなんですけど、それがいざ絵を描くって感じになると、自分の描く感覚通りに進めなくなるんですよ。で、気持ちいいところだけ描いて止まるっていう。」
野口:「それ以上に進めなくなっちゃう。」
井上:「そうなんです。筆が止まっちゃうんです。潰れちゃいそうな気がして。感じてた感覚が。その、画面の中で。こういう風に、『あ、上手くいった、上手くいった』ってやってるうちに、『あれ?』って。これ以上描いたら、出てた感じが潰れそうな気がして、」
野口:「絵が壊れちゃうっていうか......自分が見ていた良い部分が飛んでいっちゃう?」
井上:「そうですね。その感じが壊れそうで、いつも止まるだけで。あまりこういう絵を描きたいと思って描いていなかったんですけど、『絶妙ですね』とか言われたりして、いつも困ったんですよね。」
野口:「でも自分が感じてた一番良いところは描いてたりとかするんじゃないですか?」
井上:「そうですね、好きなところだけは描いてて。描けそうなところとか。」
野口:「本当だったらもうちょっと先まで行けるのにと思いながら描いてたって感じなんですかね?」
井上:「そうですね。本当は全部描きたいんですよ。でも途中で止まるって、その繰り返しだったんですね。じゃあ、次。《にんじん》で。これは野菜の皮とか、切り屑で。にんじんの皮とネギとか (26)。」
(26) 《野菜のきりくず》2005 年 油彩、キャンバス 24.2×33.3cm
野口:「そういう感じですね、確かに。」
井上:「料理の時に出るくずを描いたんですけど。」
野口:「よくそれを描こうっていう気に......(笑)」
井上:「それが何かきれいだったんですよね。右の白いのはティッシュとかで。ティッシュとにんじんの皮とほうれん草のヘタっていうか茎のところと、あと紫蘇。大葉ですね。」
野口:「聞いてみるとどうしてそんなもの描くのかっていうかね、不思議な......。色?なんですかね?」
井上:「色と形の、その絡み具合ですね。絡み具合で描きたくなるんですよ。《虫食い》(27)。これは植物なんですけど、虫食いの部分の茎と、葉っぱと伱間をこう、ちょっと。鉛筆で下描きしてるんですけど、やっぱりもっと描きたかったっていうのが、描けてなくて鉛筆の下描きが残っている。本当はやっぱりもっと描く予定なんですよ。でもいつもその手前で終わっちゃうっていう。えっと、《毛虫》で(28)。これは芙蓉って植物につく毛虫なんですけど、すっごいきれいで、」
(27) 《虫くい》2005 年 (?) 油彩、キャンバス 24.2×33.3cm
(28) 《毛虫》2005 年 油彩、キャンバス 22.0×35.0cm
野口:「きれいですよね。」
井上:「ものすごちっちゃくて、指の一関節ぐらいの長さの毛虫なんですけど、模様と色がきれいで、」
野口:「毛虫って言われるとちょっとね、引いちゃいますけど。」
井上:「もう一個《毛虫》(29)で。これが初めて全部描けた、絵具で全部描けた絵なんですよ。割とタッチも、ねっちりした固い絵具で、何て言うんですかね、自分、絵を描く時って、割と習性っていうか習慣で動いてしまうことって、僕はあるんですけど、それを強制するために、固い絵具で一個一個、一筆一筆混ぜて、パレットの上で、一個つけてまた混ぜ直して一個つけてって、ゆっくりゆっくりやるってことを自分に課して、そしたら筆が走らないっていうか、あの、思い込みで動かないようにして、自分が何をやっているのか一個一個作業を把握しながらやるっていうことをしないと、いつまで経っても背景が描けない絵のままだったような気がして、取り組んでみて、でまあ、やれたっていうか、全部自分でこう、何て言うんですか、」
(29) 《毛虫》2006 年 油彩、キャンバス 19.0×27.3cm
野口:「意識的に背景を描く?」
井上:「あ、そうです。意識を持ってやり通せたっていうか。......植物だと空間がガサガサ錯綜するっていうんですかね、それで複雑なんで、葉っぱに毛虫がポーンといるだけだと、割とやりやすかったんですね、感じ取ってそこに描き表す要素が、植物よりかは僕にとっては少なかったので、それで虫でトライして。」
野口:「あ、そうか、それまでずっと植物だけだった訳ですね。」
井上:「そうですね、あと野菜とか。《タテハチョウ》(30)......昆虫でこれも背景が描けて。蝶々。初めて背景が自分なりに描けた絵。さっきの毛虫とこれが 2006 年とか 2007 年で、取り組み出して 2004 年で、4、5、6、7......3 年ぐらいかかってできて、あと《かなむぐら》(31) で、植物に戻って、昆虫描く要領でやって、植物でも全部描き切れたっていう。」
(30) 《タテハチョウ》2006-7 年 油彩、キャンバス 31.8×41.0cm
(31) 《かなむぐら》2007 年 油彩、キャンバス 72.7×72.7cm
野口:「背景まで全部。」
井上:「これが描けたんですけど、何かものすごくやってて苦しくて、ちょっとこれ、やり続けられないなっていう、無理があるような気がしたんですね。で、その無理っていうのは絵具の固い方のガサガサしたやつですね、それが足枷になったっていうか、マチエール大好きで、それを捨てられなかったんですけど、それがこう、自分が自由に描くっていうことにマイナスに作用しているような気がしたんですね。」
野口:「絵具の、好きなマチエールなんだけれども、それをやっていることが。」
井上:「次、《ひなげし》(32)を。これが初めて薄い絵具だけで全部描いた絵。2008 年です。」
(32) 《ひなげし》2008 年 油彩、キャンバス 53.0×72.7cm
野口:「その、厚い絵具を捨ててみようっていうのは......」
井上:「捨てたんです。もうこれやってたらちょっとできないような気がして、でもまたちょっと伱間増えているんですけど、自分の中で手応えを感じて。」
野口:「こうやって見ると輪郭の方だけを描いてる......というか余白のところだけを描いているように見えるんですけど。」
井上:「そうですね、余白をメインに描いて、まあ、葉っぱもちょっと描いているんですけど、どっちかって言ったら余白の方を描いてますね。」
野口:「そうですよね。葉っぱとかは白く残してる。」
井上:「じゃあ、もう一個の《ひなげし》。ちっちゃいやつ。これ、おんなじモチーフで、もっとしゃぶしゃぶでひなげしを描いたんですけど......。もう一個の《ひなげし》、これは、また固い方の絵具で。これもひなげしなんですけど、だいたい問題意識ってのは似たような感じで、自分なりのその、いい描き具合っていうか、物と伱間とをどう描き表すかのポイントっていうか、描き具合っていうかを探って......探ってたっていうか、このときはすでに割と自分の中で手応え持ってたんですけど。」
野口:「こうすることで余白とか背景の部分が描けるっていう、」
井上:「そうですね、どっちも描けるぞ、みたいな。」
|描く上で「それをやる必要がある」と実感できた|
井上:「2008 とか 9 か......ちょっと飛ぶんですけど、《落ち葉》2009(33)。これ、急に変わっちゃってるんですけど、年としては1年しか違わなくて、全部が描けて、薄い絵具で描けて、薄い絵具がやっぱり合ってたんですね、何か、全然もう、苦しくなくなって、」
(33) 《落ち葉》2009 年 油彩、キャンバス 53.0×72.7cm
野口:「そういえば複雑になっていますね、相当。」
井上:「これは何か、本当、自由にやり切れた。2009年です。これがその時の典型的な絵です。あとは、《ゆり》(34)。これももう薄い絵具だけで。何か楽でしたね。これは絵具が薄いのが良かったっていうか。」
(34) 《ゆり》2009 年 油彩、キャンバス 45.5×45.5cm
野口:「面白いですね。ほんとは厚い絵具の方が好きだったのに。」
井上:「好きだった。憧れてた。」
野口:「それが逆に足枷になってたっていうか。」
井上:「そうです。」
野口:「それを諦めて止めた時に楽になるんだけれども、それに気付くのに随分時間がかかってる。一作一作描きながら、あれでもダメ、これでもダメだっていうふうにやりながら、やっとじゃあ薄い絵具だったらいけそうだみたいな感じなんですかね。」
井上:「《チョコレートコスモス》(35) とか。これは背景ばっかり描いちゃってるんですけど、薄い絵具で描いて。ちょっと絵も大きくなって、前は部分だけだったんですけど、もうちょっとわーっと。わーっと描きたかって、あの、描けなかったんですけど、この頃から描けそうな気がして、範囲を広げて。じゃ、《雨の日の植物》。これが 2010 年ですね。もう割と最近なんですけど。」
(35) 《チョコレートコスモス》2010 年 油彩、キャンバス 65.2×91.0cm
野口:「ああ、近い感じになってきていますね。」
井上:「じゃあ、次は 2011。《10 月の景色》、これが(会場)入り口に飾っているやつなんですけど、2011年。これは自分の中で、その時の、自分でできることを出し切ろうと思ってやってできたやつなんですけど、この時はこれで良かったかもしれないんですけど、何か描き足りないなっていうか、これ 60 号で、以前に比べたら随分、」
野口「相当大きくなってますよね。」
井上:「画面も大きいし、範囲も部分じゃなくて雑草がいっぱいのところを描いているんですけど、描き足りないってことに気付きだしたときですね。」
野口:「前はポツンと置いてある......植物を描いていたのが、こういうふうに、地面とかを切り取って、少し広い範囲の風景を描いているじゃないですか、その辺変わってきたのっていうのは、この頃?で、それができるかもしれないって思っているような感じなんですか?」
井上:「そうですね。できるかもしれないって感じて、やりたいことに徐々に近付いていったっていうか。広いところも描けたし、割と大きめも描けたけど、描き足りなかって、で、2012《石垣と雑草》(36)。これはもうちょっと食らいついて描いたんですよ。」
(36) 《石垣と雑草》2012 年 油彩、キャンバス 53.0×72.2cm
野口:「このときはまだ鉛筆の輪郭が少し残っていますね。」
井上:「まだ全部描き切れたり、描き切れなかったりしているんですけど、徐々に前よりか描き込むっていうことがやれたっていうか、やりながら自分にとって、それをやる必要があるんだなってのを実感しだしてたっていうか、いっぱい対象を描いた方が、自分がやりたいことに近いんだなっていうのを確認できたような気がします。」
野口:「細かく描き込んでいく方が、自分が見たいものに近いっていう。」
|“絵画” であることに囚われていた|
井上:「それより前に進めない気がしたんですけど、その時 2012 年。あの、最初“現代美術”じゃなくていいやって思ったのが 30 歳で、この時は 40 過ぎで、この時に “絵画” ってことにすごい自分が囚われていたことに気付きまして、自分がやりたかったのって “絵画” じゃないんじゃないかってすごく思って。描きたいだけって。対象を。何か、あの、それこそ“現代絵画”とかモダニズムの、この 100 年の絵画の、その何て言うか、自己言及的っていうか、そういうのあるじゃないですか。フォーマリズムとか。そういうことにずっと囚われていたのが、自分にとって、『絵画とは』とか『絵画である』とかっていうのは、あんまり意味がないっていうことにはっきり気付きだして。対象が描けることが大事。だから、ある意味、もう別に “絵画” って思われなくていいんじゃないかなってすごく思ったんですよ。もう、『描きたい』と。描きたいぐらいに描けたらそれでオッケーっていうか。自分にとっての絵ってそういうことだってはっきり思って、2013 年に描いたのが《柵の下》(37)です。これで対象を割と緻密に描いていくっていうか、対象を描きたいっていう思いが初めて露出したっていうか、自分の中で。抑えてたんです。絵として成立しないとダメってどこかで思い込んでたんで、そういうのはもういいって思って、とにかく描きたいから、描きたいように描くっていうことで描き切ったやつです。で、《空地の端》(38)。これが 130 号です。今までで最も巨大な。」
(37) 《柵の下》2013 年 油彩、キャンバス 130.3×194.0cm
(38) 《空地の端》2013 年 油彩、キャンバス 162.0×194.0cm
野口:「どんどん大きくなっていくんですね。」
井上:「同じ年なんですけど、連続で描いて、もうこれがまあ、今のだいたいスタイルの、この数年のスタイルになった時の。」
|消去法で辿り着いた描き方|
野口:「こうあらねばならない絵画みたいなものがあって、それが重しになってて、それに縛られてずっと描けない。もうちょっと違うことをやりたいという、そのことに気付くのにもだいぶかかってしまっている。絵画って井上さんにとって自分の外に、どっか違うところに、そこに行かなきゃならない目標のようにあったんだと思うんですけども、『そんなものいいや』って、答えは自分の中にしかない、描きたいものが描ければいいやって気付いて、今みたいなやり方ができるようになったっていう......紆余曲折がすごく面白いなって思うんですよね。何か目標があって、そこに向けて描くっていうんじゃなくて、そういうものを捨ててしまって、自分に素直になった時にやっと初めて普通に描ける。そのことに改めて気付かされて、と......それがすごく面白いですね。」
井上:「あの、いろいろ思って、『絵画はこうあらねば』だとか、『こういうふうにしたい』とかって取り組むんですけど、ほとんど全部上手くいかなくて、毎回失敗っていうか、押し返されるんですよね。で、その失敗の産物の寄せ集めで自分の絵を作ってるっていうか、結局、上手くできるっていうか、自分にとって自然なところだけが残っていって、やりたかったことはやれなくて、そんな感じで今の絵にだんだんなっていったっていうか。」
野口:「ある種消去法的なやり方っていうか、『これやったらだめ』ってやりながらやっと辿り着いたっていうか、それの変遷が半端でないですよね。」
井上:「この絵の描き方っていうのは、自分の部屋っていうのが絵を描くところ、6畳間なんですけど、3畳分ぐらい荷物で埋まってて、で、実際使えるのは2畳分ぐらいなんですけど、そこにキャンバスをこう......僕は立てて描かなくて、木枠にも張らないで、これ、今のやつは......前は違ってたんですけど、このシリーズになってからは木枠にも張れない......部屋の中で張れないっていうのもあるし。で、使えるのが2畳分で、寝かして、半分だけ広げて、半分の方から描き出して、全体を見られない状態で描くっていうか、そういうふうに......それも別にそういうやり方をやりたかった訳じゃないんですけど、できないから、仕方なくっていうか、で、やってみたら上手くいったっていうか、意外とあの、画面全部見て思い悩んで描くっていうのが向いてなかったってことがはっきりしたっていうか。見ないで、想定あんまりしないで描いた方が、結果的には思ってたものに近いものっていうか、思っていたより良かったんじゃないかっていうか、そんな感じでやってます。だから、このシリーズになってから家で完成を見たことがなくて、右っ側、だいたい右っ側から描いて、右っ側描き終えたら巻いて、左っ側残り描いて、で、乾かして、巻いて、部屋に置いて、キャンバスは、個展ていうか展覧会の時に持っていって、木枠を組んで張って、初めて『こんな絵だった』っていうやり方になっちゃったんです。」
野口:「僕は制作風景を途中で見せてもらったんですけれども、床の上に、絵巻みたいに巻いたキャンバスが置いてあるんですね、で、これで端っこから描いてくっていう。描くところだけ広げて、そこを描き終わったらまたこっち巻いて、だんだん移動していって、全貌を見ないまま最後まで描き終わったらおしまい、って。『じゃあ、全部広げてみて、直したりしないんですか?』って聞いたら、『直さない』って言うんですね。直したりすると、逆に悪くなっちゃうっていうか失敗しちゃうからって言う。
僕らからすると絵を描くっていうことは、絵をコントロールすることじゃないですか。表現するって、そうやって作品を自分のものにすることだと思っているから、全部終わった時に見ることとか、そこで直すこととか、手を入れるって当たり前のことだと思っているのに、彼の場合には、それをやっちゃダメって言うんですね。それをやると、失敗するっていうか、彼の言葉によると、『ドツボにはまる』っていうことなんですね。そうやってコントロールしないで描いて、終わったものを彼は自分で受け入れるし、それが結局自分の表現なんだ、自分の作品なんだって言ってる訳ですよね。そういうあり方っていうのがすごくユニークだなって僕なんかは思うんですけどね。
彼はずっと何とかして自分なりの描き方ってのを組み立てようとして、何とか辿り着いた、これを他の評論家の人は『境地』って言葉を使ってたりしているんですけど(*西村智弘「井上実の絵画:描くことの境地について」井上実展 2015 年 art space kimura ASK? テキスト)、そういうふうにあがきながら何とかここまで辿り着いたんですね。それを知ると、びっくりもするし、面白いなって思います。」
井上:「では、残りの......。これができてから、割と自分でもいいんじゃないかなって思って、割と続けて描いてるんですけど、この会場にあるものばかりですけど、《紅葉》(39)。これは(会場内を指して)そこにあるやつですね。」
(39) 《紅葉》2015 年 油彩、キャンバス 162.0×194.0cm
野口:「これは、紅葉ってのはどの辺?」
井上:「あの、赤っぽくなっているところが。これは河原……河川敷の雑草なんですけど、秋、11月ぐらい、ちょっと赤く変色していたんです。それを描いたんですけど。この時から次の《ひなげし》(40)とか。これは両方去年(2015年)なんですけど、若干前の年に描いたやつよりタッチが柔らかくなってきて、絵具がもうちょっと柔らかいっていうか、筆が太くなって、より楽に描きたいっていうのはずっと思っているので、無理のないようにっていうか、それで、前の二作よりかは、こう太い筆で絵具をたっぷりつけて、じゃぶじゃぶやるっていうか。最初の二作(37)(38)っていうのは、割と描くっていうことに目覚め直したっていうか。もともと受験生の時にデッサンが大好きだったのを、やっぱ、俺、『絵』を描くっていうんじゃなくて『もの』を描くんだって思い直した時が最初の二つで、ものを描くんですけど、この二作(39)(40)を描いてて思ったのは、描けてるように見えたらいいだけで、実際にゴリゴリゴリゴリ描くのが、そんなに好きじゃないっていうか、よりちょっと示唆的っていうか、手抜きっていうか、(笑)何て言うんですかね?」
(40) 《ひなげし》2015 年 油彩、キャンバス 162.0×194.0cm
野口:「暗示する……というか?」
井上:「そうです!だから描き込みがちょっと緩いんですけど、自分の中ではより自分にとって自然な方に近付けたかなって思ってます。」
野口:「最近全般的にタッチが大きくなってきているっていう訳でもなくて、それは作品によってですよね?」
井上:「あ、でもちょっと大きくしてますね。あの、ちまちましすぎるの向いてないような気がして。それはそれでできたのって面白いと思うんですけど、これは初めて平筆を使ったんですよね、このシリーズになって。あの、フィルバートっていって、平筆と丸筆の間のやつで、だいたい2013 から描いてたんですけど、13、14、15 と。今年になって初めて平筆を使って、これは一番細い刷毛とか使ったりして、刷毛はちょっとあれかなって気がするんですけど、とにかくより太めのもので描いて。」
野口:「こっちがタッチが広くなって、大きくなって、この二つが最新作?」
井上:「そうですね、これ二つが今年のもので……」
(41) 《すすき》2016 年 油彩、キャンバス 162.0×194.0cm
(42) 《彼岸花》2016 年 油彩、キャンバス 162.0×194.0cm
野口:「正面に並んでいる二つ……これはタッチでいうと大きいのと小さいの、色からいって左の方はモノクロームの感じで(41)、右の方(42)がカラフルで、その意味では対比されてて、並存させながら実験的にやってるのかなっていうふうに思います。最近の作品は、井上さんの世界っていう感じで、ここ数年のものはトータルな感じがあるんですけれども、一点一点見ていくとかなり違うんですよね。タッチも実験しながら色々変えているし、色も一つ一つの作品で違っているところがあると思います。その辺はけっこう自分でもコントロールしながら、試行錯誤しながらやっている。」
井上:「そうですね、毎回そのモチーフを描く時に、課題を持って、このモチーフはこんな感じだからこういう風にやってみようってくらいは思ってやってます。」
野口:「でも、だからと言って最終形をコントロールしようとしているっていう訳ではない。」
井上:「それはできないんですね。」
野口:「やっと最新作まで辿り着きました。自分では、今ではやっと自分のやりたいことができるようになったっていう感じではあるんですかね。」
井上:「そうですね。前よりかはっていう感じですね。だからこれでオッケーっていうよりかは、前よりかはいいかなっていう。」
野口:「“現代美術” をやらなきゃいけないっていうのを捨てて、こうあらねばいけない“絵画”みたいなものを捨てて、やっと『自分は描きたいだけだ』ってことに気が付いたっていう意味では随分楽になったっていう……」
井上:「あ、そうですね。本当にそれは自分で助かったていうか、ホッとして、これでようやく飛び込めるなっていう気はしてますね。」
野口:「彼の制作のやり方とか、態度を知らなかった頃っていうのは、僕は、それを目指して描いてると思ったんですよね。すごくユニークな作風なんで、ビジョンみたいなものがあって、それに向けて描いてるのかなって思っていたんですけど、話を聞いてみたら全然そういうことじゃなくって、何かを目指してこういうものができたっていうんじゃなくて、自分にダメ出しをしながら、いつも彼は『描いていてすごい苦しい』っていうふうに言うんですけども、あれもダメ、これもダメっていうふうにして、そういうのの果てにやっとなんとかここまで辿り着いたっていう感じで。」
井上:「辿り着いたっていうか、押し返されてそこにいるだけっていうか……あんまりポジティブな感じもしてない。だから『獲得した』とかも思わないし、仕方なくっていうか、否応なしっていうか、できることがたまたまこれで。あれができなかったから、押し返されて、ただそこにいるっていう感じ。もうちょっと良くできないかなっていうふうに思いながらですね。」
野口:「皆さんご覧になって、作品の印象、制作のやり方や態度と、作品から受ける印象ってのは、近いものなのかどうか、ちょっとわからないんですけれども、僕はとても意外だったし、話を聞いてみて面白かったです。今日は彼の制作の変遷を聞くのが主旨だったので、僕としては満足なんですけど、もう少し彼に聞いてみたいことがあれば、聞いてもらえたらいいと思います。何か、どなたか……ありますか?」
|質問:抽象から具象へ飛躍した時の心境は?|
質問者:「たいへん興味深く、また、たいへん深遠で、とても新鮮な話で楽しみました。で、やはり、学生時代の抽象から今日まで追っていく中、もちろんそのプロセスはあれなんですけど、やっぱり一番の衝撃っていうのは、最後にしたこのリアリティ、このリアリティから来るインパクトが一番強いですよ。ていうんで、そこのところですよね。抽象から具象の、具象っていうかどうか、このスーパーリアリティに至るところで、ジャンプのところの心境というか、それを、どういう……あの……自分で追い詰められていったのか、それとも自分でふと踏み外したのか、その辺どうでしょう?」
井上:「自分の中ではこっちの方が自然で、前やってた方が苦しかったっていうか、だから、やりたいけどやれなかったっていうか、やりたいって思ったこともあんまり自覚してなかったっていうか。やってるうちに、『これ、ちょっとやだな』『ちょっとやだな』っていって。大学に入った時に、絵描いちゃダメとか何とかで、現代美術とかってなって、全部その、自分で好きだったものを捨てちゃってたんですよね。捨てたってことに気付いてなくて、」
質問者:「それはもう時代がそういうふうな……」
井上:「たぶん、(時代に)呑まれたんです。で、やっているうちにちょっとずつ戻ってきて、で、20 年ぐらい経って、『あ、なんだ』って。『俺、絵描くのも好きじゃなかった』っていうか。もの描くのしか好きじゃなかったんですよ。端っこから描いてくっていうシステムっていうのも、部屋が狭いっていうのと、あと、全貌を見て描くとコントロールしきれなくて混乱するから、見ない方が楽なんですよね。システムに意味があるというより、そっちの方がまだ上手くいくっていうか、そういうあんまり積極的でない理由でやっているんです。二十代とか三十代とか、ずっとこうやろうこうやろうって思って全部空回りで、だから自分の『こうやろう』が出ないようにっていうのは、自分で罠じゃないけど、敢えて自分の描ける能力の限界のモチーフとか、何かそういう自分の主体性っていうか、意識の部分が出過ぎないようにという思いがあって……」
質問者:「一種のデッサンていうのは、ものを見て忠実に描き写していくっていう、二次元の中にある立体、空間をね、いかに出していくかっていう。やはりはじめに全体像があって、それはある意味、写真の、映像の切り取りがある訳ですよね?」
井上:「そうですね。普段から気になった場所っていうのは、ちっちゃいデジカメ持ってて、バシャバシャ撮ってて、でも、写真もあんまりフレーム考えるとダッサい写真になるんですよ。だから撮りたい真ん中だけ見て、何もフレーム見ないで、考慮しないで、とにかくバシャバシャ撮るっていうか、そういうやり方にだんだんなってきて、で、あとで家のプリンターでコピー紙にプリントして、『あ』ってそこで気付くっていうか、あ、こんな感じのフレームになってたのか』っていう感じでやっています。」
|ポスト現代的:主体性を敢えてなくして描く方法|
野口:「彼の話を聞くと、コントロールすべきところと、しないところを絶妙に使い分けていて、それを自分で意識している訳でもないし、だけど、そうすることによって、こういうものができてくる。僕なんかの立場から見てると、作家が、自分の主体性を敢えて無くして描いてるっていうことが、逆に現代的に見える。近代……少し昔の時代であれば、統一的な、巨匠的な芸術家像っていうのがあったんですけど、今は人間自体が解体しちゃっていて、そういうのってないんだと思うんです。それを彼は意図しないで、ふーっとこういう風に作品として出してきてしまっている。そういう意味では、彼は意識している訳ではないんだけれど、ポスト現代的というか現代的なものになっている、そういう面白さも観る立場としてはあるなって思います。」
井上実展ギャラリートーク 2016 年12 月3 日
場所:gallery COEXIST-TOKYO
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