INTRODUCTING ARTISTS
Walls Tokyo Interview with Artist
--ご自身の作品について、現在の作風に至った経緯、きっかけを教えてください。また、今の画風になったきっかけは?例えば具象を描いていたりしたのでしょうか。
「若い頃、修行の時代、入試の時も当時は具象だったですね。そのころは近代に成立したセザンヌ以降の作画を研究したり、バルテュスが好きで、模写で絵作りを学んだりして分厚い絵の具で描いてみたりもしました。さらに古典技法を学んだ時代、モチーフを描く訳ですが、いわゆる古典技法は手順よく描かなければならない。伝統の世界ではヘタクソは高みには登れない。まさに詰将棋みたいな厳しさ、描写への追求がありました。私もそれに取り憑かれた時期もありましたね。でもヘタクソな私は描写し続けるうちに、描き途中に現れる、不明瞭なゆらゆらした画面に惹きつけられました。実際、私には到底レンブラントは超えられないわけだし。そして本当に自身を見つめた画面と向き合うまでは発表はしませんでした。とにかく「平面」「絵画」に今日までこだわってきたということですね。」
--アメリカ・ニューヨークへの留学(*1)がさまざまなきっかけになったと伺いました。何か制作に影響を受けたことはありますか。
「アメリカに住んでいた当時、滞在していたニューヨークでは、ご存知のように世界中の様式の作品を見ることができました。古典も現代も多く観ました。コンサベーションのスタジオに所属していた私は、NYUの施設や、美術館へたびたび研究や鑑賞に通いました。滞在中、ロバート・ラウシェンバーグの足跡を辿る大きな展覧会があって、大いに刺激や勇気を与えられました。またニューヨークのハーレムの美術館で見たプリミティブなアートにもとても感銘を受け刺激されました。それまでは遠くで見ていた世界をニューヨークの地で間近に体験し、さまざまなインパクトを受けた日々でした。帰国してからの制作は、海外で生活した人の多くが考えるように、やはり自分のナショナリティ、それを表現のソースにしようと考えました。ニューヨークのローカルなブラックアート、アフリカ美術やトライバルアートに刺激されたように、自分は日本人として感じてきた自然観を表現しようと思いました。ニューヨークではそんな多くのきっかけを与えてくれた留学でした。」
「作家アトリエ」
--帰国後の制作はどのような制作だったのでしょうか
「日本に帰国してから、まだ画風が定まらなかった当時、とりあえず黒をベースに水墨のような白黒の絵を描き始め、そして灰色や鈍色といった伝統色から古典的な色を引用した作品も創りました。和の古美の世界観に興味をもちはじめ、そういうものの影響も受けるようになりました。季節感や、時間の経過で変化する変わりゆく色や形、諸行無常というか、季節感ですよね。腐ったものや枯れた色にも丁寧に命名する美意識、繊細な昔の日本人の感性に着目してみました。それは茶の湯、庭の世界の輪郭を辿るきっかけでした。」
「シンガポールY2Artsより」(尾形純作品集 十の庭 庭に宿る抽象)より
--日本庭園の世界は作品制作とどのようにリンクしていったのですか?
「お庭の世界、日本庭園は、自然界を模して小さな模式的な世界を造作するというものです。また、作庭師の感性を通した、言ってみれば抽象の世界です。枯山水にしてもまさにそう。庭の池や飛石、枯山水などなどの意匠からインスピレーションを得て絵画の制作を始めた頃、さまざまなお庭を訪ねました。ある時、京都の大徳寺を訪れ、現れた僧侶とのやり取りで「これが何だかおわかりですか」と問われ、「え、なんでしょう?」と答えると「いや、これは船です」とか「牛なのです」と唐突に言われて、「はあ」なんて答えて……これって自分がやってきた画廊でのお客さまとのやりとりのようだと思いました。「お庭」というキーワード、日本庭園の意匠や材料を、鑑賞する人との会話に使っていくと、お客さんの理解がすごく良くて「これは飛石がモチーフですよ」「これは雨が降った翌日の池をモデルに色を作っています」「雪の景色です」と伝えると、(お客さんが)「あー、私も雪の日のお寺でのこの雪景色、見たことある」って、そこで会話がすごく成立するようになる。たとえ色面だけの画面でも色のソースを伝えると、見る人の経験を絵の中に投影して解釈する。そうするとお客さんは僕の世界に梯子を渡るみたいに入ってきてくれる。全くの抽象でも一度入ればもう、説明しなくても見えてくる。抽象とか具象も関係なく。いろいろなお客さん、鑑賞者がいますが、作品を観るとき、つかまりどころが欲しいお客さんがいらっしゃいますよね。絵を買う前に理解がしたい、買った絵を人に説明もしたい、と。」
「東福寺・霊雲院」 (尾形純作品集 十の庭 庭に宿る抽象)より
--尾形さんの独特な彩色、色に対する考え方や手法について教えてください。そもそも色を重ねていって、一番上に一番下から重ねてきた層の色が反映されているという描き方をするようになったきっかけはどのようなことだったのですか。
「留学する以前、東京藝術大学の研究室に在籍していた頃、そこは藝大の中でもマニアックな研究室で、15~17世紀ごろの、油絵が成立してきた頃の技法を研究するクラスでした。それもただ文献や資料を読んで学習するだけではなく、ファンアイクやレンブラント、ルーベンスといった古典の巨匠たちの絵画の構造を実践で理解するもので、巨匠たちがやっていたことを模式的に理解しようという授業でした。当時の処方を参考にパネルを作って、そこに何層か描いてゆく。当時の巨匠たちは白い地塗りは造らない。あらかじめ色のついた地塗りの上に数層にわたって描いてゆく。ルーベンスまた、ティツィアーノもそうだけど最初に作った地塗りの色っていうのがあるから、それに完成の段階まで影響され、活かしながら完成していくわけですね。それを理解するための実技を繰り返していました。その当時の先生からは「お前らどうしてそんな下手なんだ」って言われて(笑)。しかし、上手くいかなかったこの作業が、その後の絵作りに影響して、最初に暗色、明色の地を作って、その上に乗せる色はその色に影響される。どんなに強い黄色を塗っても予備的な暗色や、明色を塗っておけば、地色と黄色が網膜上で重なり、しっとりした和の黄色になる。ちょっと印象派みたいですけどね。また一回塗り、二回塗りとか、数層に重ねれば、さらに表情が変わる。塗った色そのもののポテンシャルみたいなものが発揮される、色彩力が発揮される。そのように単純な原理でも意識して形成しました。」
--洋画の古典技法がきっかけなのですね。
「僕が使っている色材は水性ですね。いわゆる水彩ってそんなに何層も重ねてみせるっていう材料では元々ないです。じゃあ、油絵でやればいいかっていうと、どうも自分の色作りとしてはしっくりいかなくて。これまで時間をかけて油絵具や技法を勉強しましたが、だんだん油絵から離れていった。この水性の材料が起こす、顔料が沈んでいくような、乾いてシミがゆっくり広がってゆくありさま、二度書きはしない書道のような緊張感、そういう方が自分の感性が生かされている……そんなふうに考えるようになりました。もちろん油絵だって、巧な手法は沢山ある。でも自然現象を利用しながらその表情を大切にして表現する……水の表面張力や重力を利用するっていうか。
でも濡れたまま水彩を塗り重ねて描くと濁っちゃう。だからそれを濁らないようにやる技術を繰り返し研究しました。私にとっては、水の作業は縦横無尽にできるというか、そういう感覚はありますよね。要するに私は油絵の技法で水彩画を描いているということでしょうね。でも、最近作っている新しいシリーズは画面に凸凹を作ったりして。ああいう工芸品みたいな作品も実は昔から造りたくて。レリーフのような。おじいさん(*尾形さんの祖父)の影響みたいなのもあるかもしれない。」
--おじいさんは確か……
「彫金家でした。陽信という画号で金属の板に花鳥風月を描いたりしました。彫金は金銀、銅のような板に刻んでいく技法と、叩いて膨らますような技法もあって、子供の頃におじいさんが仕事していた姿をじっと見ていました。原風景があるとしたらその彫金かもしれないですね。伝統の彫金には立体やレリーフのようなものもありますね。なんだか最近、あまり絵を描いているという感覚ではないですね。何かそういったインパクトや心地よさを求めているというか……。」
「SHOP ASPLUND」
--尾形さんは修復もされますよね。
「修復との出会いは20代の半ば頃でした。実はあまり興味もなかった職業でした。恩師の勧めで「工房に行ったら前から興味あったと言いなさい」と諭され、運よく工房に入り込みました。いつ辞めようか悩みながら続けた仕事でしたが、気がついた時には、しっかり工房のスタッフになっていました。海外での修行も経験し、これまでにさまざまな美術品を修復してきました。絵を介して多くの人々と出会うことができたのは私の財産でもあります。名画と言われる作品に直接触れながら観察したり処置したりすることは、多くの気づきや学びがありました。修復は作品を物理的に観察する側面が大切で、冷静に観察する眼を養ってくれたと思っています。また、色作りでは大いに貢献してくれました。混色や塗り重ねの手順、また、絵具に汚しを入れて古美を作り出すとか。さまざまな場面で生かされているのだと思います。時に損傷した画面には、興味深いインパクトをみつけることもあります。そんな時、作品制作のヒントになったりもします。「これ使えるかな」って。そういうことが制作しているうちに、上手く画面に出てきているものもあります。ちょっと変わった古美の世界観ですね。」
--制作における哲学を教えていただけますか。
大それたことではないのですが。平安時代に書かれた「作庭記」という“庭をこうやって作りなさい”みたいな本があるんですけど、色々読んでいると、「自然の世界には、良い石の傍にそうでもない石があったり。でも人がお庭を作ろうとすると、いいものだけ集めてきれいに作り込もうとする」ってことが書いてあって。「あー、これ、自分にとってはすごく大事なことだな」と気づきがありました。自分の絵も「上手くしよう、綺麗に終わろう」ってやるから上手くいかないし、混乱しちゃったりするわけですが、画面に向かうとき、自然の現象を切りとったような自然観を求めるとき、画面の出来事の許容する範囲が広くなった、または新しい審美眼が生まれたような感覚があります。何気ないこの言葉によって、技術的にも進展したような。自分の手法に熟達することは大切。でも私には、巧い下手、また美しくなければダメではなく、いかにして自然に振る舞うか、表現できるかなんです。」
--最後に、今後のお仕事について何かありますか。
「近年は、個展での発表以外に、パブリックアートいわゆる公共的な空間でのアートの展示について注力してきました。ギャラリーや美術館とは違うホテルやレジデンス、また病院やレストランなど、何気なく集う人々、また常に集い流れてゆく空間ですね。そこにひっそりと息をするように佇んでいるアート。そんな空間に作品を制作し続けられればと思っています。作品創りはいつも1人きりですが、パブリックアートはディーラーの方、ギャラリストやデザイナーそして現場の設計の方々と共に仕事を推し進めます。容易なお仕事ではないですが、昔あった襖絵や屏風や掛け軸などのように、今の時代の空間に寄り添う、何気なく佇む本物と言われるような仕事ができれば幸せです。」
「シェラトン都ホテル」(尾形純作品集 十の庭 庭に宿る抽象)より
(*1)1997~1998年 文化庁在外研修にてアメリカ留学
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