Introducting Artists

About

Michio Yoshihara

吉原通雄

吉原治良の次男で、1955年経済学部卒業。在学中の昭和29年、具体美術協会の結成に参加。 同窓の村上三郎、嶋本昭三らとともに、海外を含めた多彩な美術活動を展開。 スクラップを再利用した作品、電球を地面に埋め込んだ作品、油彩の上に灰を撒いた作品、スライドを映写する作品など多岐にわたる素材・技法の実験を経て、1957年には支持体にコールタールを流し込み、砂や小石を撒くという手法を確立します。しかし1962年には突如スタイルを一変し、多彩な色紙を丸めて額に詰めた作品や、部屋の一隅から流れ出るかのように大量の紙テープを吊り下げた作品など、それまでとは全く異なる方向性を打ち出しました。 また、自らバンドを結成するほど音楽に傾倒していた吉原は、舞台、万博でのイヴェントなどでは常に音響を担当し、音そのものの性質に着目して、音楽の枠に収まらない作品を発表しました。

Biography

1933年 吉原治良の次男として、芦屋市に生まれる。
1954年 関西学院大学に在学中に具体美術協会結成に参加
     (72年の解散まで在籍)。
1955年 第1回具体美術展 (以後68年第21回、最後の具体展まで出品。)
1956年 野外具体美術展(芦屋公園・兵庫)
1957年 「舞台を使用する具体美術」で音響を担当。
     この頃支持体にコールタールを流し込み、砂や小石を撒くという手法を確立。
1958年 「舞台を使用する具体美術第2回発表会」舞台《音響演奏》を発表。
1962年 「だいじょうぶ月はおちない」〈具体美術と森田モダンダンス〉では美術と舞踏を融合さ せた「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を発表。
この頃、色紙を丸めて額に詰めた作品や、部屋の一隅から流れ出るかのように大量の紙 テープを吊り下げた作品を発表するなど作品の方向性が変わる。
1963年 吉原通雄展(グタイピナコテカ・大阪)
1965年 ヌル国際展(アムステルダム)
1970年 万国博美術展野外展示「ガーデン・オン・ガーデン」
具体美術まつり「EXPO‘70お祭り広場における人間と物体のドラマ」で作曲を担当。
1972年 具体解散。活動を中止。
1991年 吉原通雄個展(ギャラリー白・大阪)、制作活動を再開。
1993年 第45回ヴェネチア・ビエンナーレ「東洋への道」
1996年 芦屋市で死去 (享年63歳) 。
2012年 「『具体』—ニッポンの前衛18年の軌跡」(国立新美術館・東京)
2013年 「具体:素晴らしい遊び場」(グッゲンハイム美術館・ニューヨーク)
2014年 Yoshiaki Inoue Gallery(大阪)にて父・吉原治良との二人展が実現。

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