INTRODUCTING ARTISTS
Walls Tokyo Interview with Artist
田中宏美
田中宏美の描く作品のテーマは、一貫して「view」と名付けられてきました。「view」とは抽象化された景色。登山やスキーの愛好家である田中は、「自分の体験した自然、それは単に視覚的なものだけでは終わらない、聴覚、嗅覚、触覚の総合的な体験である。それを絵画という視覚による認識形態に落とし込むとき、視覚体験を抽象化しなければ描き切ることはできない。」と言います。そんな田中の描き出す世界は、凛としていて清々しい空気感に満ちています。
Interview 2023年6月
島津: 女子美で絵画を専攻されていらしたのですね。
田中: はい、高校からです。
島津: 美術の道に進んだきっかけはどういったものだったのでしょうか。
田中: はっきり「これ」という記憶はないけれど、小学6年生とかの卒業アルバムに将来の夢を書きますよね。その時すでに画家って描いていました。でも、もっと小ちゃい時からではないかなと思います。幼稚園にたくさん絵の具があってそれで絵を描いたり、粘土槽があって粘土でものを作ったりとか。そういうのが盛んな幼稚園に行っていました。親に言わせればそれより前から、鉛筆と紙さえあれば大人しい子だったらしいです。だから自然と好きだったんだろうな、と思います。なんで好きになったとか、そういうのは分からないけど、手を動かして何か作っているっていうのは結構好きだったみたい、ずっと。
島津: 高校も美術系に行かれるというのは、よっぽど好きだったのでしょうね。
田中: 他にやりたいことが特にあったわけじゃなかったし、あと祖父が絵描きっていうのもあるかもしれない。高校受験するときは、全部そういう美術科のあるところばっかり選んでいて、併願で普通科のところもあったけど、一応、そういうとこ(美術科のあるところ)ばっかり選んでいましたね。でも、自分から絵を習いに行ったことはないんです。小学校の部活動にどういうのがあったかは覚えてないけど、美術部みたいなのに入ったこともない。ただ自分でやっていただけっていうか、家で描いたり授業で描いたりしていたぐらいです。
島津: 美術の中でもいろいろコースがあると思うんだけれども、絵画を選ばれたというのは……
田中: 高校の何年生からか、デザインと絵画で分かれるんだけど、デザインは商業に関わってくる。先ほど私の祖父は絵描きって言いましたけど、小学校の教員やっていて、「絵は売るもんじゃない」って言っていた人らしく、絵は全然売らずに絵画教室とかで教えたりしていた。さいたま市だったから、さいたま市っていうか当時でいうところの大宮市か、の美術展とかに出したりはしていたみたいなんだけど。そういうのを聞いていたせいか、自分のやりたいことをやれるのはデザインではないとなぜか思い込んでいて。今思えばそんなことないと思うんだけど。それに、人と関わるのがそんなに得意じゃないから……デザインっていろんな人と関わって作んなきゃいけないでしょ、友達とかもいないような子だったので、やっぱり一人で黙々とできることっていうと、絵画っていうことだったんだよね、多分。いろいろ逃げて逃げてね、ここに落ち着いてる感じ(笑)
島津: そうなんですか!意外にも(積極的に選び取ったのではなく)消去法で「ここにいる」っていう(笑)
田中: そういう感じしちゃう。
島津: なるほど。それで、大学院まで行かれてっていう流れになるのでしょうか。
田中: そう。大学の学部時代はね、ちょっとスキー頑張っちゃってて(笑)。うちの妹が高校に入ったらスキー部に入って大会に出てるのを見て羨ましいと思って、私もスキーの大会に出てみたいと思っちゃって。で、大学に入ったらスキーサークルって感じのスキー部があったので入部して、それで冬はずっと山で生活しちゃってて……で、3ヶ月くらい制作しないみたいな生活を送ったりして。それで「せっかく美大来たのに」とか思って反省して。大学院行って真面目に制作しよう、と。それだけじゃなくて、だってほら、ねえ、私たちの時代はさ、って一括りにするのもおこがましいけど、就職っていうのも特に頭になかったし、描き続けたかったし、なんか、まあ、学費は……自分で払っていたわけじゃないけど……制作のためのスペース代、場所代だと思ってた。
そんなふうで大学院の時が一番学校に行ってた。ずっと学校で過ごしていたから、私は。学校に来ない子もいるじゃない?その子が来ないとどんどん自分のスペースをどんどん広げて、いない子たちのスペースをどんどん侵食していって、広々とした中ですごくたくさん制作しましたね。
島津: その後、就職しようとは思ったんですか?
田中: 大学院出てからもどうせバイトとかしながら描くんだろうなっていうのは漠然とあったかな。
島津: スキーの良さってどこだったのでしょうか?
田中: 子供の時からやってたんです。小さい時から、なんなら3歳とか4歳とか、もう嫌々連れて行かれて、親に。寒いしさ、当時はハイネックのピタッとしたやつ着るの、あれがもう苦しくて、着たくなかったんだけど。でも嫌々とはいえ、行き続けてたらある日楽しくなって。それもあると思うんです、自分がそういう雪景色とか描くっていうのは。雪国で生活してたり、そこで生まれてたら、雪嫌いになっていたかもしれないけど。まあ、ちょっといいとこ取りで。小学校いくつぐらいの時かな、高学年ぐらいの時に湯沢とかあの辺にリゾートマンションが建ったりしてどんどん開発されて、で、うちの親も流れに乗ってリゾートマンションを買ったんですよ。だから小6、小5ぐらいからかな、その頃埼玉大宮にいたんだけど、大宮で土曜日塾行く、塾終わる、大宮駅行く、最終の新幹線に乗る、湯沢行く、で、湯沢で親が迎えに来てくれて、で、次の日スキーして、みたいな生活していて。
最近思ったのは、絵を見たらすぐ違う世界に行けるっていうのは、その当時の生活とちょっと似てるかもって。そこに本来なら行けないけどパッと行った気になるみたいな……そんなものをここで(絵画で)提供したいのかなっていうことを最近思っています。
島津: やっぱり綺麗ですか?雪山っていうのは。
田中: スキー場はそれほど綺麗じゃないですね。だからスキー部で行ってた頃は雪山にはさして興味がなくて、でもたまに早朝スキーとかですごくいい景色を見たことはある。それよりも夫がもともと登山をやっていたこともあって、今はゲレンデから出ていくことをするようになった。そうするとすごく綺麗な景色に出会う。
島津: ああ、最近よく耳にする、
田中: バックカントリー。
島津: そうそう、それ。そういうやつ?
田中: そう、そういうやつ。
島津: よさそうだよね。スキーやってる時に「この景色を描こう」とか、そういうのはあんまり思わない?
田中: そういうのは思わない。「この景色を描こう」っていうよりは、そこの空気感を描けたらと思っている。誰も足を踏み入れていない、雪が一面に積もった純白の景色を見ると空気が違って感じる。寒いのに寒くないっていうか。音も違って聞こえるし。眼前の風景そのものというより、その空気、空気感の方を描こうと意識している。
例えば、畑とかが真っ白な雪で覆われているところって、何にもないように見えるし、雪が積もってる木なんて死んでるように見えるけど、雪が溶けてきてだんだん緑が出てきてっていうのを見ると、あ、あんなに真っ白だったのに実はその中の方って命がしっかり息づいていたんだって思う。視覚を超えて在るもの、そういう目には見えないものの方を描けたらいいと思っている。
島津: 女子美の時に影響を受けた先生とか言葉とか作家とか、先生に言われたことで覚えてることとかありますか?
田中: 当時は、絵を描く……絵っていうものは何ていうの、人間の暗いとことか汚いとことか、そういうのを表現しなきゃいけない、明るい絵っていうのはちょっと違うって思っていた。
島津: そうね。私も10代後半から20代前半は『存在の耐えられない軽さ』みたいな重たい映画を好んで見ていた。
田中: 無理くり、無理くり色混ぜたりとかして、くすんだ、トーンの低い色とかグレーっぽい色でばっかり頑張って描いてたことがあって、
島津: 鴨居玲の絵のような……
田中: そうそう。だから特に何を表現したいっていうのも、あるんだかないんだかみたいな感じだったんだけど、「存在感」みたいなことを言おうとして一生懸命そうやっていたら先生、教授というか、作品を見た人からさ、「田中さんの絵には毒がないんだよね」って言われて、「ん?!すっごい頑張った、私、これ!」って。
島津: 頑張って毒入れてたのに全く入ってなかった(笑)
田中: すっごい頑張ったんだけど(笑)、これだけやってこれ言われちゃうってことはもうこの方向じゃないんだなっていうことに思い至って。ないのにわざわざ出そうとするとか無意味だしもういいやと思って。私は綺麗な色が好きだし爽やかなものがいいし、だいたい家に飾ったりするものはもっと気持ちよくなる絵の方がいいじゃん!とふと思った。そのタイミングで、油絵の具にもいろんなメーカーあるじゃない、で、海外のメーカーのすっごい綺麗な黄色に出会って、この綺麗な黄色をさ、いかに綺麗に出すかでいいんじゃないぐらいになって、そこでもうガラッと、ガラッと作品を変えた。それが大学院の修了制作を作ってる頃。
私は修了制作を夏までに終わらせて3月に個展をするってすでに決めていて、3月の個展に向けて修了制作は夏に終わらして、そこから作品がガラッと変わって個展用の作品を制作して。だから修了制作はなんかよくわかんないくすんだ色の作品なんだけど、それからは急に綺麗な黄色の絵に変わって、それから今に至ってる。
島津: 大学院修了半年前くらいまでヤニっぽい色の作品を作っていたんですね。
田中: 作ってた、作ってたぁ。何がしたいんだかわからない、一生懸命ドロドロしてた(笑)。でも結局ドロドロしなかったみたい。持ちあわせがないっていう、そういうことだなと思って(笑)。
島津: じゃあ前の絵を知る人は、結構「あれ?全然違うね」ってなった?
田中: ああそう、でもこっちになってよかったねってみんな言う。
島津: やっぱり自分の、なんかこう実感というか自分の中での必然性を伴わずに作った作品って、周りの人もなんとなく分かるのかな。
田中: そうなって「これこういうことが今言いたい!」とかまではいかないんだけど、「こういう絵でありたいみたいな」ことを言えるようになった。それまでは何を言っていいかわからなかった。でもほら一応ね、描きたいっていう気持ちだけはあるから何かを描かなきゃいけないって。ちょっとよくわかんないよね、描きたいものもないのに描きたいっていうね、大学生くらいって、そういうよくわかんないことになってんの。大体みんなそうだと思うんだけど。
島津: あー、美大に入ったものの「自分は何をしたいんだっけ?」ってなるということ?
田中: そう。だって最初の頃はさ、モチーフがあってさ、それを描いてるわけじゃない。急になくなるわけで、そうしたら、
島津: 何描いたらいいんだろうって?
田中: それでも私はいろいろ思いつく限りやったものの全然、全然評価を得ることもなく……
島津: その時流行りのスタイルをやってみようとするんだけど、なんかやっぱり実感がないっていうか表面だけなぞってるみたいな感じになるのかもね。
田中: そうそう。でも結局ね、自分が経験してきたもの、見て、感じて溜め込んだものを出してるわけ。多分ね。私もちょっと最近忙しくて山行かなかったりとかしてると、だんだん「あー、もうちょっと描けないってな」ってなって、「行ってくる行ってくる、ちょっと行ってきます」みたいになる。都会だけで生活していると、一向に制作意欲が湧いてこなくなっちゃうっていうか、定期的に、別に雪山じゃなくても、自然のあるところに行ってないと結構描けなくなっちゃう。
島津: 私はなんとなく、制作って人工的なものだし、自然の中じゃできないように思ってたけれども。
田中: そうなの。だってこんなのさ、自然が大好きとか言っときながら、体に悪いというかさ、(制作で)使ってるものはさ、もう(体や環境に)非常によろしくないと思って。矛盾してるなって最近ちょっと思ってるんだけど、それどころかもう私が死んだらゴミになるもの、ゴミをいっぱい作ってると思って……
島津: でもね、作家はそういう自覚がないとダメだと思う。ある種の謙虚さっていうか。すごいまっとうな、作家としてすごくまっとうな感覚だと思う。それをわかった上でね、それでもやっぱり制作していくことが大事だよね。
田中: 大学院で絵が変わってから作品のタイトルはほとんど「view」できてるんだけど、うちの父親が入院した時に私の絵を病室に飾らせてもらったの。そうしたら父親が「なんかずっと見てるといいな」とかって言って。永遠に見てられる絵っていいなって、私の中ではそういうふうに思って。刺激的なやつもいいかもしれないけど。
島津: そうですね、パッと見ていいねってなるのもいいけど、常に一緒にいて、
田中: そう、なんか日常にあって邪魔じゃないぐらいのね、が結構いいなって思ってる。
島津: 一回スタイル決めちゃってそれを繰り返してるわけじゃなくて、むしろそれができないのかもしれないけど、山の空気吸ってこないと制作できないっていう……
田中: やっぱりね、インプットしないと、アウトプットできない。
島津: それはすごく重要なことですね。絵を描くにあたってというか制作するにあたって。スタイル決めちゃってそれの繰り返しになるとやっぱり飽きるんですよ、見てる方も。またこれかみたいな。モンドリアンの大回顧展を見に行ったことがあって。モンドリアンってある時期から大体グリッド線と黄色と青と赤で、大回顧展だからそれがこれでもかってくらい並んでる(笑)。でも全然飽きないんですよね、一点一点すごい新鮮な気持ちで見られる。しかもなんかちょっとあの人ちょっとグリッド線の長さを直したりしてる。この線1センチくらいここまで出てるのと出てないのとどう違うのって思うんだけど、まあ彼の中では明確に見えていて、それをちゃんと描いているんだって思った。
田中: やっぱり生だとそういうとこ見られるのはいいね。印刷物はそういうの見えないから。
島津: そうですね。
田中: あ、やっぱちゃんとやってんだみたいな、ちゃんとっていうか、こういうとこ意外と気にしてんだみたいなね、そういうことが面白いよね。
島津: そうそう面白い。やっぱそれがその、作家の現実感みたいなのが、現実感というか実感みたいなのが絵に表れているのかな、と。
田中: まあそうであってほしい。私が吸ってきた心地のいい空気を、作品を通して感じられたらいいなって思う。
島津: それは画家じゃないとできない仕事かもしれないね。彫刻の話になるんだけど、ある彫刻家が言ってたことなのだけど、人体彫刻ではね、50センチの人体も3メートルの人体も作るんですけど、それを見た時に自然なサイズの人間に見えなきゃダメだって言うんですよ。50センチの人に見えちゃいけない。3メートルの人に見えちゃいけない。
田中: へえ。
島津: 自然な人体のサイズにみせる。で、それが抽象化だっていうことを言ったんだよね。
田中: へえ面白い。
島津: 私が思ったのは、多分ですけど、綺麗な自然の景色を見て、それをそのまま描いても、もしかしたら伝わってこないのかもしれない。矮小化された自然みたいになって。抽象化されることによって、その、実際にあった、田中さんの見た自然が伝わるのかなって。
田中: ああ、なるほど。言葉にしたらきっとそう。ああそうか、そういうことなのかなぁ。なんかね、だってその景色じゃないんだよね、私が描きたいのは。空気感だから。
私は(絵にする時に)実際に見ないとちょっと良くないかなっていうのがあって、何かしらの取っ掛かりとして実際にあるものから形や色をもらう。まあ全部が全部そういうわけじゃないんだけど、結構そういうふうにはしている。
島津: タイトルの《view》について教えてください。
田中: 絵というもの自体、どこかの家なり、建物の中に飾られたりすることが目的なのだけど、そこに飾られた時に、その場所の空気が少し変化するとか、心地のいい場所になれるようにって考えて《view》とつけています。
一時はさ、花とか植物とか描いてたこともあるんだけど、それでも《view》ってつけてた。景色じゃないじゃんって(笑)。でもそれを“眺めてる”っていうことで、まあいいんじゃないかなと思う。いや、むしろ花って思ってほしくなくて。これを見て花がある景色だっていう風に思ってもらえればって思う。ちょっとうまく説明できないけど。
島津: なんかモンパルナスの画家、誰だったか忘れたけど、それも聞いた話だからもしかしたら間違っているかもしれない、ヌードを見ながら風景描いてたって聞いたことがある。
田中: 何でもよかったのよ、心地のいい空間になるための取っ掛かりだから。でもね、何かから形もらわないと、どうしても同じものになっちゃうっていうか、だから植物とかいろいろなものから取ってくるんだけど、人であることもあった、そういえば。
島津: 技法について教えていただけますか?工芸的な技法*も取り入れてらっしゃるんでしょうか。
(*絵の具を何色も盛り上げて、支持体のレベルまで削り出す技法。マーブルのような模様ができる。蒔絵の技法に似ている。)
田中: 工芸的っていうかね、うちの親が昔工場をやっていて、今はもう辞めちゃったんだけど、そこをバイトで手伝ってたことがあって。そこは柱上変圧器って、今はあんまりないんだけど、電信柱の上にグレーの変圧器が乗っかっていて、それを再利用するために塗装のし直しとか、付いてる部品を取り替えたりとか、再生するのに錆落として、塗装とかしてたの。超肉体労働。それでサンダーを使ってたわけ。で、油絵描いている時にちょっとヤスリたくなってきちゃって。なんか手がね、やりたかった(笑)
島津: ちょっとボコボコしてるところをもうガっといきたい?
田中: 制作ってプラスの作業とマイナスの作業みたいな言い方するけど、油画は油絵の具を載せていくというプラスの作業で基本できてくる。でも、そこにマイナスの作業も入れたいって思って。
筆のストロークとかがすごく出ている、手がこう動いたんだなっていうのがわかる作品もいいんだけど、逆に「どうやったらこういう風になるの」みたいなものをやりたくなってきた。
島津: あー、なるほど。
田中: それで木版とか版画……あぁエッチングはそうでもないかな、「描きましたって」感じじゃない質感にちょっと憧れを抱きまして、
島津: なるほど。
田中: それで、いかにも描きましたじゃない、ちょっと安易に思いついたのがヤスってみるっていう術で、それやってたらだんだん面白くなってきちゃって、最初は油絵の具だったので全然固まらないからヤスれなくて、もうこうなったらアクリルで描いちゃおうって描いて、でアクリルにしたら思いっきり早く乾くからガーってヤスれるようになって、で、そうなってくると、じゃあいかに思った通りに出せるかみたいなことになってきて、最初はランダムにっていうか適当な感じでやっててどう出るかぐらいだったのが、だんだん意図的に出しちゃうみたいなぐらいの……何の挑戦?みたいな(笑)
島津: なんの挑戦?って感じだ(笑)そうなんですね。面白い。聞いてよかったその話。
田中: そんなこんなで今はこれを(色々な絵の具を重ね、支持体のレベルまで削る)やっています。そうするとみんな「これどうやってやったの」みたいなことになる。それはちょっと嬉しい。
作業中はね、すごく楽しいの。手を動かすことが好きだから。絵の具混ぜたりとかそういうのが楽しくて。
島津: そっかぁ。
田中: そうなの。別に工芸的な何かが元々あってこういうのをやろうとかじゃない。
島津: へえ、面白かった。田中さんにとって絵を描くということはどういうこと?
田中: まず絵を描くということ自体が好き。私は本当にね、なんていうの、触感、描く時の筆の、この当ててく反動っていうか、(布キャンバスに石膏を塗った支持体を指して)だからこの下、石膏をこんなに厚塗りしてるから下地はなんでもいいと思うかもしれないけど、麻のキャンバスは描き心地が嫌いで、綿キャンバスの描き心地が好き。絵具を混ぜて色を作ることもすごく楽しくて。混ぜたりとかこねたりとかも楽しい。結構触りたい派。触覚は割と大事。
島津: あーそこもすごい大事に思ってるんだね。
田中: 結構大事。触感ないと作れない。
島津: そうなんですね
田中: そうそうそう。やっぱだから反動とかもさ、押した時に向こうからくる反動、
島津: その筆を通した振動みたいなこと?
田中: 結構道具を使う人とかそうだと思うんだけど、先端が指先みたいな感覚。スキーの時もスキー板が板のままじゃなくて、板が足の一部になっている感覚、そういう感じが肝だと思うんだよね。ドリルを使う時も、ドリルの先端が自分の身体の一部という感覚で動かすみたいな。
島津: はぁ、すごいね。
田中: そういうことなんじゃないかなと思ってるんだけど、道具使ってる人たちって。
島津: 昔聞いた話で、細かい作業をするための究極のメスを考えた時に手に持つメスじゃなくて指先につける刃物になったというのがあった。
田中: うんうん。絶対家具とか作ってる人とかは道具を人体の延長のように感じて作ってると思うんだよな。
島津: それを感じて作ってる人の家具は信用できそうな気がする。
田中: そう。だから手で作らないとね。
島津: 10代のずいぶん早い時期から絵とずっと関わってこられて、これまでのこととか、これからのことで思うことはありますか。
田中: まあ、絵画はやりたくてやってることだからね。私、世の中の動向とかさ、そういうのあんまり見てないんだよね。何が流行ってるとかさ、まったく興味がない。
島津: あ、なるほど。それはそれでいいよね
田中: そういうのに惑わされずにいたいって思っていて。
島津: まあでも、暗い絵を描かなきゃいけないって思っていたときはそういうことだったのかもしれないね。そこを吹っ切ったということかな。
田中: ああ、そうだよね。なんだろうな、こんなにいっぱいの人がいて、色んな感覚があって……まあいっぱいの人がいるから成り立ってるんだろうけど、もっと小ちゃい世界で生きていたい。
島津: 別にそんなに広げなくていい、と。
田中: 今の社会はついていくのが大変だなって思っていて、そういうことにはあんまり目をむけずにいきたいな、と。もし絵だけでご飯食べようとしたらさ、それはそれでもしかしたら絵のことが嫌いになっちゃうかもしれないから、それは嫌だから私はほどほどにお仕事して、好きなままでいれたらいいなっていうところでやってる。生涯目標は、絵を一生描き続けるっていうこと。
島津: まあその、田中さんの絵画はご自身の人生とともにあるっていう……
田中: そう、そういう感じです。
島津: なるほど。今日はありがとうございました。
loading