モヤモヤとした雲のような色の重なり。引っ掻いたような痕のある黒い画面。飛び散った絵の具。規則正しく並んだカラーブロック。これらは何を表しているのだろうか。描かれたものが風景や人物、静物のような見知ったものであれば、「これは何ですか?」という問いにおそらく誰もが納得できる答えが返ってくるだろう。それはつまり、描かれている対象を共有できるということだ。
科学の進歩にともない、曖昧さは排除されるべきものとなる。説明可能で皆が納得できる、合理性こそが絶対的なよりどころであると信じて疑わない、そんな世界を私たちは生きている。空気感、雰囲気、第六感−近代から現代にかけてヒトがそれらを不確定要素として公の場から遠ざけてきたのは、それらは真に共有できない(と考えられている)からなのではないだろうか。
もしもそうであるならば、この知覚こそ個々の人間に与えられた不可侵の自由であると考えられはしないだろうか。そして今、抽象画を目の前にして私たちは、知覚を巡る密やかな冒険の世界に足を踏入れるのだ。